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アクション最前線

2017/09/21

日本で初めて #医療的ケア児 に在宅医療を届けた医師の想い――前田浩利×駒崎弘樹

  


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医療的デバイスを身に着けて生活する医療的ケア児。自宅でたんの吸引などの医療的ケアを受ける彼らとその家族には、医療の支援が欠かせません。

その中心となるのが、小児在宅医療です。この20年ほどでそのニーズは急激に高まっているにもかかわらず、担い手はなかなか増えていないという問題があります。

その背景と、解決策とは? そしてこれから医療と保育・福祉はどのように連携していくべきなのか?

日本の小児在宅医療のパイオニアである前田浩利医師に、障害児保育を運営するフローレンス代表理事駒崎がインタビューを行いました。

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前田浩利

医療法人財団はるたか会 理事長/あおぞら診療所新松戸 院長

東京医科歯科大学医学部臨床教授/東京女子医科大学非常勤講師/埼玉医科大学総合医療センター非常勤講師/慶應義塾大学看護医療学部非常勤講師/東京大学医学部非常勤講師

古くて新しい在宅医療が、子どもに必要になった理由

駒崎まずは先生のお仕事についてご紹介いただけますか。

前田:子どもたちのお宅に訪問して診療を行う在宅医療を専門に行っています。当法人で在宅医療を提供している子どもたちは現在約500人。子どもと言っても中には、長い間診てきて今は20歳、30歳という年齢の方もいますが、その500人にみんなでチームを組んで在宅医療を提供しています。

日常的に医療を必要とする子どもたちが、家の中はもちろん、地域社会に出ても安全に過ごせるよう支援する仕事です。

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駒崎:普通、小児科というと、患者が病院に足を運んでお医者さんに診断をもらって薬をもらって……というイメージですが、先生や看護師などの医療チームが子どもたちの自宅に出向いていくというのが在宅医療なんですね。

在宅医療はそもそもどういう歴史を辿ってきたんですか?

前田:1980年代、高齢者が病気などで病院に通うことが出来ない場合に、医師のほうからお宅に出向く診療として、在宅医療が始まりました。

実は、日本では江戸時代から往診という形で在宅医療が行われていたんですが、戦後、医療が高度化するにつれて、病院内で特殊な機器や薬を使うことが診療の主流になり、いったん往診文化は廃れたんです。しかし、病院に通うのが困難な高齢者が増えてもう一度復活しました。

復活してからの在宅医療は昔の往診とは違って、小型の精密機器や電子カルテの活用により、院内同様の診療が可能になりました。発達したテクノロジーにより、新しい医療の形として再発展したのが現在の在宅医療です。

駒崎:高齢者の分野で物理的に病院に行けない、という問題をクリアするために生まれたのが在宅医療だということですが、現在、先生はお子さんを中心に在宅医療をされていますね。子どもが在宅医療を必要とする事例が増えたのはなぜでしょうか?

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前田生きていくために日常的に医療ケアを必要とする「医療的ケア児」が増加したためです。

医療の進歩でどんどん複雑で高度な医療的ケアが可能になりました。新生児を含め、助かる命が増えると共に、高度な医療機器を装備しながら自宅で暮らす子どもが増えました。

機器を持って頻繁に病院に通うのは大変だし、家で使う機器や自宅用のケアは病院のそれとは違う、というわけで、子どもの自宅に出向いて自宅用機器やケアの状況を確認し手助けする専門職が必要になってきたという流れです。

駒崎:医療的ケア児の事例が出始めたのはいつ頃からなんでしょう?

前田:おそらく私があおぞら診療所を始めた1990年後半くらいからでしょうか。すでに新生児の集中治療室(NICU)の定員オーバーが社会問題になり始めていました。

出産時に一命を取りとめたものの、NICUから出られないという状況が発生していて、その子たちを家に帰すためには家で医療的ケアが受けられなければならない、と。

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医療的ケア児の数は10年で2倍に増えている

病気とともに生きる子どもに併走したいーーがんから医療的ケア児へ

駒崎:そうした問題を受けて子どもの在宅医療を始められたのですか?

前田:NICUの状況を知ってはいましたが、私が最初に在宅医療を始めたきっかけは、実は別のことだったんです。

当時私は大学病院に勤めていて、がんの子ども達の治療にたずさわっていました。今では随分治療できるようになりましたが、当時は小児がんにかかると亡くなる事例が多かったんです。

子どもが目の前で亡くなっていく、ということは自分にとって大きな衝撃でした。治療することに必死だった自分でしたが、親しくなった子どもたちを看取る中で、限られた命を生きる子ども達にしっかり伴走してあげたい、治らない子ども達に真に寄り添っていきたい、という思いを強くしていたんです。

そんな時に、オーストラリアで小児緩和ケアに関する学会に出る機会があり、オーストラリアでは8割の子どもが自宅で亡くなっていると知りました。日本ではそんな事例は全くあり得なかったので、非常に驚き大きな気づきを得て帰国しました。

がんの子ども達の治療も自宅でできれば、病院で最期を迎えるより親御さんも子ども達も幸せなんじゃないか……そんな医療をやりたいと思ったのが、1999年。
千葉県松戸市で「あおぞら診療所」を立ち上げた年です。

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駒崎:当時社会に浸透しつつあった高齢者向けの在宅医療を、小児がんの子どもの在宅医療に応用したんですね。始めてみてどうでしたか?

前田:始めた頃はやはりがんの子どもの事例はなくて、高齢者ばかり。全然やりたいことにたどりつけなくて心折れかけたこともありました。がんの子どもが診られないなら大学病院に戻った方がいいんじゃないか?と迷ったり焦ったり……

駒崎:大学病院勤務というキャリアを投げ捨てて、在宅医療の道を選ばれたんですもんね。でも、大学病院には戻らなかったんですね。

前田:がんの子どもは全然こなかったんですが、子どもの事例として初めて入った問い合わせが人工呼吸器をつけているお子さんのお母さんからだったんです。
「子どもが、気管に入っているカニューレが痛いと言っているので診てほしい」と。

※カニューレ:気管切開手術後等に切開部(喉元)から気管内に挿入して気道の確保,出血や分泌物の吸引などに用いる管

人口呼吸器や胃ろうなど、いわゆる「医療的ケアデバイス」をつけて生きる子どもが増えてきて、現にサポートを必要としている。自分がやるべきなのかなと思い始めました。

医療的ケアのある子ども達も、小児がんと同じ命の瀬戸際。とても脆い存在の子ども達はたくさんいて、それは小児がんに限らないんだと気付いたんです。

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小児在宅医療は日本で自分だけ?まだまだ足りない医師と制度

前田:一方、先ほどお話したNICUがパンク寸前だという問題を受けて厚生労働省の研究チームに入った時、衝撃の事実を知りました。

NICUから子どもを自宅に帰して在宅医療で診療を続ける、という方法など誰でも思いつくだろうと思っていたんですが、全国の研究班の調査結果を見ると、子どもの在宅医療を本格的に業務としてやっているのは日本中で自分ただ一人だったんです

これはどうにかしなきゃいけない!って思いました。

小児在宅医療をしっかり拡げていけば、医療的ケアのある子もがんの子も自宅で安心して暮らせる!やらなきゃいけない、と使命感を新たにしました。それが2009年頃のことです。

駒崎:1990年代後半から、NICUから子どもが自宅に帰れないことが問題になっていたにも関わらず、当時子どもの在宅医療に業務としてたずさわっていたのは全国で前田先生ただ一人だったというのは、なぜなんでしょう?

前田当時は在宅医療=高齢者医療というのが医療業界の常識で、小児科との接点が全くなかったからです。私の場合は「あおぞら診療所」を一緒に立ち上げた友人が既に高齢者向けの在宅医療をやっていたというバックボーンがあったので、小児科でありながら、在宅医療を選択することができました。

また、診療報酬においても高齢者と小児では完全に差があって、小児在宅医療は全くの赤字にしかならなかったのも原因でしょう。

これについては、2008年に在宅医療の対象年齢が撤廃され、2012年には診療報酬改定の中で初めて「小児在宅医療」という文言が入りました。小児在宅医療でも診療報酬がつく、となって徐々に参入する医師が現れ始めたんです。

駒崎:すると小児科と在宅医療の間の壁がなくなってきたのはここ数年のことだったんですね。
現在では子どもの在宅医療はインフラとして地域に行き渡ったんでしょうか?

前田:まだまだ足りないです。在宅医療に関わる小児科医が増えてはきましたが、経営的に成り立っている施設は全国で10にも満たないんです。もっと参入してもらいたいですね。

駒崎:参入する医師の数以外に、足りていないものはありますか?

前田:ひとつは家で患者を支えるための医療技術。集中治療室の機器がそのまま家に持ち込まれていて、出歩いたり遊んだり、子どもの身体が成長するというようなことが考慮されていないんです。医者も看護師も日常生活を考慮した医療機器と技術を地域に持ち込んでいき、新しい技術体系を作っていく必要があります

もうひとつは、制度です。昨年児童福祉法が改正されて、ようやく「医療的ケア児」という文言が盛り込まれましたが、医療的ケア児が普通に地域にいることを前提とした制度が必要です。

医療的ケア児が学校で学ぶこと、そして就労ができることを、制度上も社会通念上も当たり前にしなければなりません

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障害のある子どもの可能性を、医療と福祉のコラボレーションが花開かせる

駒崎:先生が「あおぞら診療所」を立ち上げられた頃医療的ケア児だった子ども達がそろそろ成人し、就労という年齢を迎えますよね。

前田:そうなんです。5歳の時に交通事故で首の骨を折り、首から下が動かないまま人工呼吸器を付けて生活してる子をずっと在宅医療で診てきましたが、小中高と普通学校に通って今、大学に通っています。パソコンなんかも上手に口を使って操作できるんです。

その子が今度起業したいという話があって、手伝って欲しいと言われていますよ

駒崎:すごい!!どんなことをされるんですか?

前田:ちょうど私が地域に開かれたカフェを作ろうと構想していて、その子にやらせてみたら面白いかもと思って話をしたら、本人が「やりたい!」と言ったんです。私の友人が「それじゃあ彼に会社を作らせてみたら?」と意見をくれたので、本人に意向を聞くと「ぜひ起業したい」と。

これまでは患者と医者として接してきたけど、話してみると素晴らしいアイディアがどんどん出てくるし資料もしっかり作れる。非常に高い能力をもった若者だということが分かりました。

この時、障害のある子ども達ってどういう精神世界や体験を持っているんだろう?とハッとしたんですよね。その可能性にものすごい希望を感じました。

駒崎:本当にそうですね。すごく興味深いです!
看護師がいないから呼吸器がついている人は職場で雇えない、とか、福祉の就労施設で決まった労働をする道しかないという現状は、なんというか……残念すぎます。

前田色んな人が生きていて当然で、社会はそういう人達がいて豊かになるんです。創造性とかアイディアがこれからの世の中のパワーじゃないですか。呼吸器がついていようが手足が動かなかろうが全く関係ない。そういう人達のパワーが社会で活きていけば日本はもっといい国になると思うんですね。

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駒崎:そういった考えにつながるのかなと思いますが、前田先生自身も、障害児や医療的ケア児の発達支援をする「チャイルドデイケア ほわわ」と連携して活動されていますよね。

※チャイルドデイケアほわわ:医療・看護・福祉が連携した医療的ケア児のための通所支援施設。子どもたちがスタッフや友達と楽しくコミュニケーションを取りながら生活する。

前田:はい、ほわわを運営する戸枝さん(※社会福祉法人むそう理事長)と、2011年から「ほわわ」を一緒にやり始めました。

医師というものは福祉の人がどんな仕事をしているのかを本当に知らないものですから、自分たちがいちばん人の役に立っているという意識になりがちですが、福祉の世界にいる戸枝さんと出会って、生活を支えるってこんなにも素晴らしい可能性があることなんだと知ったんです。

フローレンスの「障害児保育園ヘレン」もそうですが、そこへ通うようになると子ども達がみるみる発達するんですね。医療は命を守るけれども、心の発達を促したり、社会性は伸ばしてあげられない。障害のある子どもには医療と福祉、両方ないとだめなんだな、と。

駒崎さんや戸枝さんとコラボして、子どもたちの思いもかけない発達を目の当たりにしました。小児科医にとってこれはすごい喜びで、ワクワクするんです。医療だけでは絶対に見られないもの。嬉しくてしょうがないんです!

戸枝さんと研究班を作ってからは、医療と福祉でコラボレーションがすすんで、私と同じように考える医者が増えてきているんですよ。数年前にくらべると小児科業界で理解が進んだと思います。

駒崎:素晴らしいことですね!

(後編へ続く)


後編では、医療的ケア児をひとつの起点とした、地域医療の未来の姿が語られます。そして話題は、重い障害を持つ子どもを救うべきかどうかという、命の価値の議論へ……

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書いた人:駒崎 弘樹