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2017/10/04

24時間365日、親が子どもを介護するのが普通?社会で子どもを育てるために【寄稿】 #医療的ケア児

  


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親なら自分の子どもの面倒を見て当たり前――そう言われれば、それは「普通のこと」だと感じる人が多いでしょう。

しかし、障害や疾患と、それに伴う医療的ケアを必要とする子ども、すなわち医療的ケア児に対する親のケアは、夜間のたんの吸引でまとまった睡眠が取れない、日中も経管栄養による食事を親が直接与えなければいけないなど、まさに24時間365日、休みがありません。

もちろん、保護者には子どもに対する責任があります。でも、本当に、子どもを育てるための全てを、親だけが背負うべきなのでしょうか?

今回、ご自身も重症心身障害児で医療的ケアのあるお子さんを授かり、16年育て上げ、そして看取った経験のある、ライターの富田チヤコさんに、医療的ケアのある子どもを育てることについてご寄稿いただきました。

社会全体で親子を支え、子どもの育ちを支えることの意味を考えるヒントになると思います。ぜひお読み下さい。

(以下寄稿)


24時間365日、親が倒れる寸前まで子どもを介護するのが、ふつうの育児?

2000年3月、娘は生まれました。

1ヶ月検診では元気印の太鼓判を押されたにも関わらず、長男の時とは泣き方もミルクの飲み方も違う。何かがおかしい・・・そんな疑問を抱えながら、1歳頃までいくつかの大学病院で検査入院を繰り返していました。でも、どんなに調べても病名も原因もわからない。

結局、1歳半になり障害児用のバギーを製作するため、「原因不明、病名なし」のまま身体障害者手帳を取得。児童福祉法などによく出てくる「重症心身障害児」という言葉を知ったのも、この頃です。ちなみに手帳の判定は、身体障害者手帳1級、愛の手帳1度。最重度の障害を示すこの判定は、16年間変わることはありませんでした。

手帳を取得した当時の娘は、体がやわらかすぎて、首がすわるどころか、反り返る動きで抱っこも難しい。また不随意運動があるため舌の動きも悪く、食べたものを吐き出したり、食べ物が気道に入るため誤嚥性肺炎による入退院を何度も繰り返していました。しかも食事だけで栄養を摂ることが難しいため、片方の鼻には十二指腸まで届くチューブを入れ、24時間栄養剤を持続注入していた時期。

この頃、娘の介護をしていた私や主人の睡眠時間は、ほとんどありません。3時間以上、まとまって寝た記憶はなく、主人はほとんど寝ないまま会社に通勤していた時もありました

おまけに、徒歩5分の幼稚園に通園する2歳上の長男の育児もあります。特に娘のような重症心身障害児が入院する時は大変で、今から10年以上前は入院するたびに親が子どもの病室に付き添う「母子入院」が一般的でした。

その間、長男の育児は別の県に住む私の母や義母にお願いしましたが、娘の入院が何十回も続くようになると祖母たちも疲労困憊。もはや私たち家族の力だけで娘の介護を継続するのは不可能と感じ、ヘルパーの利用を考えはじめました。

2003年ごろ、東京都内では乳幼児でもヘルパーや訪問看護師を利用する事例はあったものの、残念ながら私たちが住んでいた関東近郊の小さな町では前例がありません。

役所にヘルパーの利用について相談に行っても、福祉課の担当者からは「お母さん、まだ育児の時期でしょ。子育てでヘルパーを利用するなんて、聞いたことがない」と一蹴。また訪問看護の事業所も「小児の経験がない」という理由から、断られ続けました。

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5歳。十二指腸までチューブがあったが、手術で胃ろうを造設した

毎日の育児は「ユニ育」で。発想をスイッチ!

相談に行ったつもりが、専門職からまさかの発言が続いたおかげで、私の中で何かが吹っ切れました。

「重症心身障害児という娘のユニークな個性を理解してもらうには、悲しんでいるだけじゃダメだ。まず本人を見てもらおう、まず我が家の実情を知ってもらおうう!」

そこからは娘を育てる毎日を、重症心身障害児を育てる”大変で、かわいそうな育児”ではなく、”ユニークでユニバーサルな育児”と考え、自分で「ユニ育」とネーミング。事あるごとに役所に足を運び、我が家の実情を親子で伝え続けた結果、ようやく半年後に3歳児のヘルパー利用が認められました。もちろん、当時住んでいた自治体では最年少の事例です。

ところが、今度は肝心のサービスを請け負ってくれる事業所が見つからない。障害児の場合、当時は高齢者のケアマネジャーのようにケアプランを立案したり、利用者と業者と調整する役割の人がいなかったため、事業所を探すのも私たち家族の仕事でした。

役所からもらったリストをもとに、1社ずつ電話をかけて我が家の事情を説明。20社以上断られ続けましたが、諦めていたころにやっと1社と契約。娘のケアをヘルパーにお願いできるようになってからは、私も長男の育児にようやく向きあえるようになりました。

在宅訪問のさまざまな制度を利用しながら、娘の成長を実感!

そうこうするうちに、主人の仕事の都合でヘルパー利用から1年も経たないうちに東京都内に転居。もちろん「ユニ育」の実情は、転居した都内でも変わりません。また同じように役所に直行して、娘の状態と我が家の実情を説明。今度は大学病院のソーシャルワーカーも巻き込んだおかげで、ヘルパーに加え、念願だった訪問看護の事業者とも契約することができました。

やがて娘も6歳になり、都内の特別支援学校に入学。当時の娘は、痰の吸引と胃ろうからの栄養剤の注入という「医療的ケア」が必要でした。

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6歳。特別支援学校に入学

こうしたケアのある子どもの場合、スクールバスには乗ることができないため、通学するためには自家用車での送迎が必要です。また学校看護師は校内にいるものの、残念ながら娘の医療的ケアに対応してもらうことが難しく、私は娘のいる教室から一歩も離れることができませんでした

1日4回の栄養剤の注入、日中や夜中の痰の吸引、さらには母子通学のため自家用車を運転する毎日、そして教室待機。「ユニ育、ユニ育」と奮闘してきた私も、ストレスのためか体に蕁麻疹が出るようになり、特別支援学校に母子通学することが難しくなりました。

結局、小学部2年生からは教員が週3回、自宅を訪問する「在宅訪問」という教育のスタイルに変更。このおかげで、私はもちろん娘の体調も安定して入院回数も激減。またマンツーマンの教育のおかげで、娘なりにさまざまな授業を楽しむ様子を、私もそばで見ることができました。夏は家のベランダを利用したプール、冬は書き初めやバレンタインデーの調理実習など、今でも楽しい授業の数々を思い出します。

行政に伝えた在宅レスパイトの必要性。そして事業が実現

娘が生まれて10年ほど経つと、日中のケアはヘルパーや訪問看護師にお願いすることができるようになりました。ただ娘の体調によっては、家族は夜間も不眠不休のケアが続くこと、きょうだい児の育児という面では、長男に向き合う時間が圧倒的に不足していることに不安を感じていたように、まだまだ障害児とその家族をサポートする制度が不十分な状態でした。

また既存の制度も、介護する家族のニーズを十分に満たしているものではありません。

例えば、ショートステイ(短期入所)。自宅から離れた場所にある施設でショートステイができる体力のある子どもなら、決められたタイミングでその場所に行くことができるでしょう。でも、体力的にその場所に行くことができない子どももいます。しかも送迎が親の負担になる場合、親の体調で子どもをその場所に連れて行けないことがあります。

「あーあ。せめて数時間でいい、自宅にいる娘と少しだけ離れることができないか。その間、自宅で留守番する娘の医療的ケアを、専門職に安心して任せることができないか」

行政に対して「在宅レスパイト」という、介護する家族を支援する制度の必要性を伝え始めたのは、こうした毎日が続いたことがきっかけでした。

その後、理解ある行政担当者のおかげで、「在宅レスパイト」事業がついに実現。都内のある区からはじまったこの制度は、おそらく日本初の取り組みですが、今では23区内にジワジワと広がりつつあります。

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15歳ごろ。体調がよい日は、近所の公園まで散歩に出かけた

毎日の育児を「ユニ育」と考えはじめてから、10年以上の月日が経ちました。2016年には障害者総合支援法にも「医療的ケア」という文言が入り、重い障害のある子どもたちへの理解が広がってきました。これをきっかけに、医療的ケアが必要な障害児者とその家族への支援が、もっともっと進むといい。そんなことを娘といっしょに考えていた矢先、その年の12月に娘の体調が急変。突然、天国へと旅立ちました。

ユニークでユニバーサルな「ユニ育」が、もっと広がるために

娘と過ごした16年間。私がフリーランスで働くことができたのも、ユニークな個性を持つ娘を育てる毎日を「ユニ育」と考えることができたのも、すべては私たち家族の在宅生活を支えてくれた人たちのおかげです。

かかりつけの大学病院の主治医はもちろん、医療面では大学病院と連携を取りながら娘の健康をいつも気にかけてくれた往診の先生と訪問看護師の皆さん、リハビリに対応してくれた理学療法士の先生。福祉面では行政担当者はもちろん、日々の体調に配慮しながら細かなケアをしてくれたヘルパーの皆さん。さらに教育の面では、学校の先生たちや学校給食の形態をいつも配慮してくれた栄養士の先生など。娘に関わったすべての人に対して、ただただ感謝の言葉しかありません。改めて、この場を借りて御礼申し上げます。

重症心身障害児(者)や医療的ケア児(者)に関する法律や制度は、まだまだ完璧ではありません。むしろ働く女性が増えている社会の実態を考えると、どう考えても時代とあわない。そう感じるものも、たくさんあります。それでも、生まれてきた子どもたちは、いろいろな人たちと関わりながら懸命に生き、そして日々成長しています。

さまざまな人の多様性を認めあう社会、そのヒントがユニークでユニバサルな育児である「ユニ育」にはあります。すべての子どもたちの個性を認め、それをたくさんの人と一緒に支えあいながら、子どもたちの成長をそっと見守るような地域社会が実現してほしい

16年間の「ユニ育」を卒業した今、私も天国にいる娘とともに、そうした社会の実現に向けて、今の自分にできることに取り組んでいきたいと考えています。

(寄稿ここまで)

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富田チヤコ

医療的ケアが必要な重症心身障害児の娘を16年間介護しながら、フリーランスのライター兼コピーライターとして活動。食、健康、介護に関する取材や執筆、食品カタログのコピーライティングなどを行う。管理栄養士、フードコーディネーターでもある。


■障害や医療的ケアのある子どもとその家族を、社会で支えるために

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そのための第一歩として、特別支援学校等へ就学する前の医療的ケア児と家族を保育で支えるため、フローレンスでは障害児保育園ヘレン障害児訪問保育アニーを運営し、通常の集団保育には入れない、障害や医療的ケアのあるお子さんをお預かりしています。その新園開園、サービス拡充の原資として、寄付が大きな力になります。

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書いた人:富田チヤコ