「出産費用無償化」。
いま、日本の少子化対策は大きな転換点を迎えています。
現在、国会では「出産費用無償化」に向けた具体的な制度設計が議論されています。2026年4月28日の衆議院本会議にて賛成多数で可決され、制度の実現がいよいよ現実味を帯びてきました。順調に進めば、2028年6月ごろまでに新制度がスタートする見通しです。
今回の新制度では、出産費に全国一律の単価を設定。正常分娩であれば、窓口での自己負担額が「ゼロ」になります。
「お金の心配をせずに出産できる社会」へ――。
物価高騰が続く中、出産を検討する方にとって、この経済的負担の軽減は心強いニュースといえるでしょう。
しかし、わたしたちフローレンスが長年取り組んできた「赤ちゃん遺棄」という社会課題の視点に立ったとき、一つの問いが浮かび上がります。
「無料で病院で産めるようになれば、赤ちゃんの遺棄はなくなるのだろうか?」
今回の記事では、赤ちゃん遺棄から考える出産費用無償化の「制度の空白」と、その提言活動の最前線を深掘りします。
出産費用無償化と、制度の「空白」
これまで日本において、出産は病気やケガではないという理由から、妊娠や出産に関わる受診は公的医療保険の対象外とされてきました。
多額の自費診療を補うため、多くの人は自治体の「妊婦健診受診券」や原則50万円の「出産育児一時金」を活用して出産に臨んでいます。
しかし、近年の出産費用高騰により、それだけでは賄いきれない自己負担が増加し、家計を圧迫するケースが目立っていました。
今回の「出産費用無償化」は、出産費用の全国一律単価設定によって、地域や各医療機関によるバラツキを抑え、さらに保険適用にすることによって出産の標準的な費用に自己負担がかからないようにします。
ところが、今回の法案改正の対象に含まれなかったものがあります。
それは、現在全額自己負担となっている「妊娠確定診断」にかかる費用です。
「妊娠確定診断」が出産費用無償化に含まれないことは、どのような意味をもつのでしょうか。

制度の「手前」にある、1万円の壁
赤ちゃんが遺棄される事件の背景には、多くの場合、母親は一度も産婦人科を受診していない実態があります。
その最大の理由は、病院に行くお金がないからです。
あるデータによると、生後0日の虐待死事案のうち、約85%が「未受診妊婦」(※1)による出産であること、また未受診の最大の理由は「経済的理由(約37%)」(※2)であることがわかっています。
妊婦健診の自己負担額を抑えるためには「妊婦健診受診券」という助成券が必要ですが、これをもらうためには「妊娠確定診断」を受けなければなりません。
「妊娠確定診断」とは、産婦人科で妊娠を確認する検査のことです。
医師の診断を受け自治体の窓口に行くことで、初めて母子手帳と助成券(妊婦健診受診券)を受け取ることができます。
しかし「妊娠確定診断」は実費診療となるため、妊娠初期の受診では通常、初診料と検査費で1〜2万円ほどの費用がかかります。
たった1万円、と思うかもしれません。
しかし、この「最初の1万円」が払えないために、病院に行けず、結果として自宅や公園で一人で産み落とす「孤立出産」へと追い詰められてしまうケースが後を絶たないのです。
2026年の今も、この日本で年間2,000人規模の「未受診妊婦」(※3)がいると推計されます。
※1:こども家庭庁 こども家庭審議会児童虐待防止対策部会 児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会『こども虐待による死亡事例等の検証結果等について』(第1~21次報告)https://www.cfa.go.jp/councils/shingikai/gyakutai_boushi/hogojirei/kekka
※2:新増有加・逆瀬川真衣・森川真美・炭原加代(2020)「未受診妊婦の背景要因に関する文献的考察」『大阪青山大学看護学ジャーナル』3 巻,11-19.
※3:Nobuya UNNO “The Perinatal Care System in Japan” JMAJ 54(4): 234–240, 2011 妊婦の約0.3%が定期妊婦健診を受けていない
お腹が大きい、未受診妊婦の存在
年間2,000人の未受診妊婦がいるーー。
この日本において信じがたい数字かもしれません。
フローレンスは、赤ちゃんの遺棄を防ぐため、予期せぬ妊娠に悩む方々への相談支援を行っています。
日々の活動の中で実感するのは、妊婦さんが孤立し、追い込まれてしまう背景には、決して一言では片付けられない複雑な事情が絡み合っているということです。
「お腹は大きくなっているけれど、お金がなくて病院に行けない」
そんな声に応えるため、わたしたちは経済的困難を抱え、一度も病院で診察を受けたことがない妊娠中期・後期の方を対象に「初回受診料支援」を実施しています。
実際にフローレンスに寄せられた相談事例を通し、彼女たちが直面している現実をお伝えします。
相談者は27歳、同棲していた元パートナーのDVから避難し生活を立て直そうとしていたところ、相手とのこどもを妊娠していることがわかりました。
つわりにより離職を余儀なくされ、収入が途絶えるなか、胎動を感じながらも現実を直視できず、受診に踏み出せないまま臨月を迎えている状況でした。
インターネット検索でフローレンスのにんしん相談を知り、LINEにて相談をしたそうです。
まずはわたしたちのもとへ勇気を持って相談にきてくれたことをねぎらい、費用の心配はしなくていいから自身のためにも、赤ちゃんのためにも初回の受診をすることを促しました。
このケースでは初回受診につながってから、わずか3日後に無事出産に至りました。
支援につながっていなければ、孤立出産に至っていた可能性が高いケースでした。
この事例は医療費の支援にとどまりません。
相談者はこの支援をきっかけに、地域の保健師やソーシャルワーカーとつながり、行政支援を活用しながら産後の生活再建にむけて前向きな一歩を踏み出すことができました。
※個人が特定されないよう、いくつかの事例を組み合わせています
フローレンスの提言
支援をする中で、今回紹介した事例のように「あと一歩、支援につながるのが遅ければ…」というケースは少なくはありません。わたしたちは支援現場の立場から、「妊娠確定診断」の金銭的ハードルが困窮する妊婦から医療を遠ざけていると実感しています。
わたしたちは、経済的な状況にかかわらず、すべての妊婦が医療につながり、適切な選択や安全な出産ができるよう「妊娠確定診断」を無償化にするべきだと考えています。
すべての妊婦を対象の無償化にすることで、支援に届きにくい妊婦への支援のきっかけをつくることができ、妊婦と赤ちゃんの命を守ることにつながるからです。


課題が国会へ。制度改善の現在地
「出産費用の無償化」の議論の中に、「妊娠確定診断」を含めてほしい。
わたしたちは支援現場の声として、「妊娠確定診断の無償化」の必要性を国に訴えてきました。
地道な提言活動が実を結んで、先月4月16日、衆議院の「地域活性化・こども政策・デジタル社会形成に関する特別委員会」において、「妊娠確定診断」が国会質疑のテーマとして取り上げられました。
質疑では、こども政策担当大臣に対し、困窮妊婦の「妊娠確定診断」の費用負担解消と、制度改善の必要性について具体的な議論が行われました。
国会での議論と質疑
既存事業である「低所得の妊婦に対する初回産科受診料支援事業」における「3つの障壁」が明確になりました。
| ①普及の遅れ: 実施自治体が全国の約3割に留まっている。 ②金銭的負担: 一時的に全額を立て替える「償還払い」が主流。 ③物理的負担: 事前に平日の役所窓口へ行く必要がある。 |
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大臣からは、自治体と医療機関が直接契約することで「窓口負担ゼロ」を実現している先進事例が紹介されました。
政府として、これらの事例を全国に共有し、「低所得の妊婦に対する初回産科受診料支援事業」の全自治体での早期導入と、妊婦に寄り添った使い勝手の良い仕組みづくりを後押ししていく方針が示されました。
今回の国会質疑で議論されたのは、主に「低所得妊婦」を対象とした既存事業の改善についてでした。
わたしたちの掲げる「すべての妊婦」とは対象範囲にこそ違いはありますが、国の政策方針を決める場で、「妊娠確定診断の費用が受診を阻む壁になっている」という事実が明確に課題として認識されたことは、大きな一歩です。
また今回の議論において、生後0日の赤ちゃん遺棄・虐待死が「個人の自己責任」ではなく「国(政治)の責任」であるという本質的な問いが、国政の場で公式に投げかけられました。
その意義は非常に大きいものです。
すべての妊婦が医療につながれる社会へ
支援のなかで見えてくるのは、制度の狭間に取り残され、孤立を深める女性たちの姿です。
わたしたちはこれからも「赤ちゃん遺棄」を防ぐため、事前の行政窓口相談を必要とせず、医療機関へ行けばすべての妊婦が自動的に全額公費負担となる「妊娠確定診断」の無償化を提言していきます。
出産費用無償化を、単なる「経済的負担の軽減」に終わらせない。
フローレンスはこれからも、現場の声を政策につなげ、赤ちゃんの遺棄という課題がなくなる社会を目指します。