東日本大震災から6年が経ちました。
フローレンスでは、震災当日もいつものように利用者ご自宅での病児保育、おうち保育園で園児たちをお預かりしていました。都内の交通網が機能停止に陥る中、保育スタッフや事務局スタッフは「命を預かる」仕事を全うしました。そして、それを教訓により一層、災害時の対応や防災訓練に力を入れるようになっています。あの日を忘れないためにも、私たちスタッフも振り返る時間を持つようにしたいと思い、フローレンスの過去の取り組みをご紹介させてください。
フローレンスが行ってきた支援とその変化
フローレンスでは、震災後にいくつかの被災地支援を行ってきました。被災地から東京に避難してきた母子たちが、孤立していたり預け先がなかったりしていたことに注目し、「避難家庭一時保育サポート隊」をつくり、ベビーシッターを無償で提供しました。
さらに現地で、塾が流されて困っている受験生達の力になるべく、ベネッセ様にお声がけをして、約1000世帯分の進研ゼミを無償提供していただくことに。これを「希望のゼミ」と名付け、受講生を募集して回りました。仮設住宅だと集中しづらい、という話もあったため、石巻には無償学習室もつくりました。
それから原発事故のために、「子どもたちを外で遊ばせられない」という保護者の声を聞き、「屋内公園をつくろう」とふくしまインドアパークを南相馬と郡山に立ち上げました。
「希望のゼミ」は地元の塾運営企業の復興に合わせて終了、ふくしまインドアパークは自治体が事業として整備することが決定し、2014年に閉鎖しています。震災から数年経ち、徐々に直接的な「復旧支援」から自走していくための「経済支援」を考えることが必要になってきました。実は先日、「希望のゼミ」で進研ゼミを無償提供することでサポートしていた当時の南三陸の中学生が、大学生になって、フローレンスの学生インターンに応募してくれるという時間の流れを感じるとともにうれしい出来事もありました。
経済復興のための「待機児童解消」
被災地の復興、特に経済成長を支えるために、自分たちのできることは何だろうか。そう考えた時に、仙台の方から待機児童問題のひどさを耳にしたのです。東北一の都市、仙台市が経済を引っ張っていかなくてはならないのに、当時は仙台市が待機児童数、東北一という状況でした。子どもを持った母親は働きづらく、低所得世帯であれば、片方が働けなかったら非常に大きなダメージを負ってしまいます。
そこで、フローレンスでは東北経済圏の中心、仙台に自分たちが持っていた「待機児童問題を解消する解」である「おうち保育園」を開園することになったのです。こうして、2015年4月「おうち保育園こうとう台」が開園。2016年には「おうち保育園木町どおり」が、そして2017年4月にはフローレンス初の企業主導型保育園として「おうち保育園かしわぎ」が開園します。
継続的な支援を行うハタチ基金
一方で、団体の壁を超えた活動も。震災後に駒崎の友人でもあるNPO法人カタリバの今村久美さんからお声がけをいただき、「2011年東日本大震災の起こった年に0歳だった赤ちゃんがハタチになるまでの20年間、どんな立場で震災を受けた子どもであっても、その経験を力に変えていけるように、笑顔でハタチを迎えられるように」というコンセプトの下、「ハタチ基金」を立ち上げています。
「震災当時よりも今のほうがつらい」という子どもたちもいます。被災地の子どもたちに「今」必要な支援を届けていくために子ども支援分野で専門性の違う4団体の代表が理事を務め、復興のフェーズに合わせた継続的な支援を行っています。
東日本大震災から5年半、子ども達の居場所となった「コラボ・スクール」と今も残る埋められない傷跡
かわいそうな子達への支援という視点を今こそ転換。被災経験のある子どもへの投資が日本の未来を握る理由。
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今後もフローレンスではその時どきで必要な形で被災地支援事業を継続していきます。
ぜひ皆さまも、寄付やボランティアはもちろんのこと、被災地へ旅行したり、お買い物を通して応援したり、自分のできることを通して、復興を支えてください。
多くの人が関心を持ち続け、寄り添い続けることで、本当の復興が可能になるのだと思います。
東日本大震災の被害に遭われたたくさんの方々の思いを忘れることなく、一歩一歩ではありますが、皆で力を合わせて、よい未来を創っていければと思います。
※東日本大震災発生時に0歳だった赤ちゃんが、無事にハタチを迎えるその日まで。
被災地の子ども達を応援する「ハタチ基金」では皆さまからのご寄付をお受けしています。
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