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25歳で特別養子縁組の真実告知を受けて ー「望まない妊娠」という言葉に思うこと

25歳で特別養子縁組の真実告知を受けて ー「望まない妊娠」という言葉に思うこと

特別養子縁組にまつわる当事者の方々へ話を聞くインタビュー。

今回は、生後1ヶ月で児童相談所を介して里子としてご両親の元へ託され、その後4歳の時に、当時制度化されたばかりの特別養子縁組制度を通じて養子となった、福岡県在住の大久保文さんにお話を伺いました。

大久保さんとご両親が戸籍上も親子になったのは特別養子縁組制度が施行された初年度(1987年)。まさに、特別養子縁組制度によって「親子」へと導かれたご家族です。

25歳の時に初めて父親から「血縁関係がない」と事実を告げられたという、大久保さん。
自身が養子であることを知ってから考えてきたこと、幼少期を振り返っての思い出、そしていま特別養子縁組制度について思うことを聞きました。

【特別養子縁組とは】
「家を継ぐ」ことを主たる目的とした普通養子縁組と異なり、特別養子縁組は6歳未満の子どもの福祉を目的として1987年につくられた制度です。

実の親が育てられないなどの理由から、血の繋がりのない育ての親と子どもが「特別養子縁組」をすることで法律上、実の親子となります。

*インタビュアー:フローレンス代表理事 駒崎弘樹 

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駒崎:大久保さんは生後1ヶ月で児童相談所を通じて今のご両親の元に里子として託され、4歳の時に、当時施行されたばかりの特別養子縁組制度を使って、法律上の親子になったと伺いました。88年のことですね。

大久保:そうです。私も両親にきいてはじめて知りました。自分が養子と知ったのは25歳の時でした。それまでは普通の親子というか、当然血縁関係もある親子だと思っていました。私は周りの人にも「お母さんにそっくりだね」と言われていましたし。

でもいまから思えば、ちょっと「アレ?」と思うことはありました。妊娠している母親の写真が見たことがなくて。

あと、友達から「文ちゃんのお母さんはなんで歳をとってるの?」と言われて、そのまま母に聞いたら、ストレートには答えないというか、何か隠していると感じたことがあって。

友達のお母さんはたいていうちの母より若くて、妹や弟が生まれたりする中で、子どもながらに「うちは何か周りと違うんじゃないか」と思った記憶はあります。

 

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駒崎:ご両親からはどんな風にお話があったんでしょうか。

大久保:大学の進学で京都へ移ってから、10年以上京都にいました。その頃、25歳の時に父から「ちょっと話があるので戻ってきなさい」と言われて。

駒崎:25歳の時、急に、ですか?

大久保:はい。何事かと思いましたね。いつもならメールで済ますのにどうしてかなと思いながら実家に帰省しました。

なのに、また京都に戻るその日まで何も言わないんですよ(笑)

そして京都に戻る日になってようやく、お茶の間で両親が話し始めたんです。父が声を震わせて「血縁関係がない。でも何も変わらないから」と。母はずっとうつむいていました。

駒崎:お父さんもすごく緊張したでしょうね。聞いたその瞬間、大久保さんはどういう気持でしたか?

大久保:あんなに気弱な父を見たのは初めてでした。だから、話を聞いて「分かったよ」と言ってすぐに実家を出ました。とりあえず帰ろう、帰らないと……と思いましたね。別々に住んでいてよかったなと心底思いました。

その後の長距離移動中は、ひたすらgoogleで「養子縁組」などのワードを検索しました。かなり動揺していたんでしょうね、帰りが新幹線だったか飛行機だったか憶えていません(笑)

こういう時、別々に住んでいてよかったなと心底思いました。一人になれたので。

駒崎なぜ今? という思いもあったのでしょうか。

大久保幼少期に「あれ?」と思ったこともすっかり忘れていたんですが、思い起こせばなるほどそういうことだったのかと、散りばめられたピースの最後のひとつで繋がったような納得感もありました。

両親も「いつか言わないといけない」という気持ちと、でも「このまま言わないでおきたい」という気持ちがせめぎ合っていたんじゃないでしょうか。その頃の私は、仕事もようやく落ち着いてきた頃でした。もう大人でしたし、戸籍を取れば分かるのでさすがに決意したんでしょうね。

私もびっくりしたし、ひとりで泣いていたこともありましたが、落ち着いてくると両親の気持ちを理解できました。家に大学の時使っていた六法があったなと、引っ張り出してきて民法817条の特別養子縁組のところをはじめて読みましたね。

それからは自分と同じような人がいないかと検索したり、特別養子縁組関連の勉強会やイベントがあったら足を運び、いろいろと情報を集めていきました。

駒崎:大久保さんは生後1ヶ月で児童相談所を介してご両親の元へ託されたのですよね。ご両親は当時のことをどのようにおっしゃっていますか?

大久保母が病気で子どもを産めなくなったらしいのですが、両親は子どもを育てたい気持ちが大きくて、児童相談所に相談したそうです。

そしたらすぐに私の話があったみたいで、迎える準備が間に合わなくて大変だったみたいです。いろんな人に聞いてみましたが、子どもを迎えたい夫婦が児童相談所に相談してすぐに生後1ヶ月の赤ちゃんが来る、ということは滅多にないそうです。今ならなおさらですよね。

当時は特別養子縁組制度がまだなかったので、まず里子になり、その後「普通養子」になりました。そして、「特別養子縁組」の法律ができた後に、普通養子から特別養子になりました。

*里親・里子と特別養子縁組制度の違いについてはこちら

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駒崎:事例がほとんどない中、本当に奇跡ですよね。

大久保:その児童相談所の担当の人はなぜそんな滅多にない手続きを踏んで、私を両親に託したのか、すごく興味があります。今で言う「新生児委託」のようなことを私が生まれた時にやっていたというのが、すごいことだなと。色々調べた結果、自分がどんなにラッキーだったのかを知り、驚きました。

養子縁組のあっせんをしてくれた公務員の窓口の人がいて、1987年に「特別養子縁組」の法律ができて、審判で認めてくれた裁判所の人たちがいて、まるで自分のためにできた法律のように思うことがあります。

裁判所って人生で縁がない場所だと思っていましたが、知らないうちに自分の人生にこんな関わりがあったこと、物心がつかないうちに全部手続きが完了していたことに本当にビックリしました。日本に生まれたことに感謝の気持ちを持ちました。

駒崎:いろんな人が関わって、命のバトンがつながれたんですね。

大久保:本当にそう思います。児童相談所の人も養子縁組のあっせんをするのはリスクがあったと思うんですよね。誰かが明確にそうした方がいいと思って、動いてくれたんだろうなと思うと、どんな人だったのか知りたくなりますね。

特別養子縁組は最近は徐々に知られています が、私が生まれた時は制度もなかったんです。

養子になっていなかったら自分はどうなっていたんだろう、と想像することがあります。

3歳まで乳児院にいて、そこから児童養護施設に移って、自立する力が不充分なうちに児童養護施設を出ないといけない。何によって、こういう人生の差が出てくるんだろうと思うと怖くなってきます。

駒崎:お父さんからの真実告知を振り返って、いまどんな思いを持たれていますか?

大久保:父もこれを伝えることで何かが変わるんじゃないかと、恐ろしく思っていたんじゃないかと思います。聞いた瞬間、私にもそういう不安がありました。

でも当時私ももう社会人で、仕事もあって目の前の日常生活があることに助けられました。信じられないような話が飛び込んできても、自分を見失わなかったというか。もし学生時代の時間が有り余っていた時に言われていたら、もっとショックを受けたかもしれません。

最近では、小さいうちから子どもに真実告知をしていくのが良いとされています。それも理解できますが、私自身は大人になってから知らされたことで、子ども時代に子どもらしい時間を過ごせたのが良かったと思っています。

駒崎:大久保さんはどんな子ども時代を送っていたんですか?

大久保:子どもは子どもなりに、その世界で生きていますよね。小さなことが人生の一大事で。思春期になればニキビができたとか、好きな子がどうだとか、中学に上がると受験勉強のことで悩んだり。

両親と喧嘩もいっぱいしましたし、良くも悪くもいわゆる「真実告知」を受けなかったので、普通の悩みに夢中でいられたのかもしれません。両親も私の「普通の生活」を守りたかったのかもしれませんね。

ときどき、「生みの親と生きる人生は想像したことはあるか?」と聞かれることがあります。

私には、3つの人生の可能性があったと思います。生みの母に育てられる道、乳児院や児童養護施設で育つ道、特別養子縁組で暮らす道。

タイムマシーンで戻って自分で選べるとしても、今の家族を選びたいです。

駒崎:昨年は養子縁組あっせん法も成立し、社会的に特別養子縁組を広げていこうという機運が高まっています。そのことについてどう思いますか?

大久保:すごくいいことだと思います。私もこの制度によって人生が変ったので、もっと広がっていってほしい。

ただ「特別養子縁組」といった時の、キーワードというか説明には少し思うところがあります。

特別養子縁組の支援をしているみなさんに言いにくいところではあるのですが、私が心が苦しくなるのは「望まない妊娠」とか「虐待死から助ける」という言葉です。

事実だということもわかるし、社会の中で広く知ってもらうため、協力者を得るためにも、伝わりやすい言葉なんだろうとは思います。

でも、養子当事者が「望まぬ妊娠」とか「虐待死」というのを聞くと、名前も顔も知らない生みの親が自分を殺そうとしたのかとか具体的に考えてしまうんですね。

駒崎:確かにそうですね。僕たちも赤ちゃんの虐待死を防ぎたいと思って事業を始めたのですが、あまりそのメッセージを強調しすぎると当事者の方は傷つきますよね。そこは僕たちも自覚的でいなければと思います。

大久保:特別養子縁組=生みの親の望まない妊娠、と繋げられていますが、「育ての親」はその子どもを望みますよね? たとえば養子縁組で子どもを迎えてからもう何年も幸せに過ごしている親子がいたとします。その親にとって、その子どもはかけがえのない子どもですよね。

生みの親は望まなかったかもしれないけど、その妊娠がなければ育ての親も会えなかった子どもです。

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大久保望まぬ妊娠という言葉を聞くと、自分自身は大人なのでそう伝えた方が社会問題として認知されて社会に受け入れてもらえ、広がることはいいことだとは思うんですけど、そう認知されることで養子の子どもがいじめられたりしないかなって心配になりますね。特に小学生とか、思春期真っ只中を生きている子が心配です。

駒崎:確かにそうですね。問題を伝える側も、そういった点は認識しなくてはいけませんね。では「予期しない妊娠」の方がまだいいでしょうか。

大久保:はい、そのほうがいいですね。

駒崎:今後は「予期しない妊娠」、と言うようにします。あとはやっぱり、もうちょっと家族のことをカジュアルに話せるようになったほうがいいですよね。「養子」となるとシリアスで暗い感じになってしまいがちですよね。その話に触れないでおこう、みたいな。

例えば「ジュノ」というアメリカ映画では、女の子が10代で妊娠して「じゃあ託そう」と友達と一緒に育ての親を探します。僕はそのカルチャーの違いに愕然としたと言うか、こんなに前向きなのがちょっとすごいなと思って。日本はまだそこまではないです。

大久保:シリアスさが何から来るかというと、日本人が持っている素晴らしい道徳観倫理観だと思うんですよね(※文末の補足コラムあり)。

「母親が我が子を産んだにもかかわらず、その子の人生に関わらずに別の人生を生きるなんて、なんてことをするんだ」っていう、言わば人としての社会常識みたいなものがベースにある社会で、ある意味シリアスになるのも当然というか。

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駒崎:なるほど。一方で倫理観のこん棒を持って袋叩きにしようとすると、悩んでいる人が声をあげられなくなるという難しさはありますよね。大久保さんは産みのお母さんがされた選択を、どう思いますか。

大久保よく決心してくれたと思います。

養子にも出したくない、里親に委託するのも嫌だ、と子どものために何も選ばない親もいるわけですよね。

育てられなくて施設に預けても面会に行かない、経済的な支援もない、それでも日本で親は親権者としての権利を失いません。養子に出すということは、生みの母の同意があったからこそ叶ったことなので、中途半端な状態ではなく養子に出すと決めてくれた、大きな決断をしてくれたんだと思います。

駒崎:その通りですね。児童相談所で措置している子どもは親権が足かせになって特別養子縁組が難しいという話はよく聞くし、日本は子ども自身が持つ権利よりも親権が強すぎると日々感じます。

大久保:私もそう感じています。

施設に入れている子どもに会いにも来ず、しかし親の同意がないために特別養子縁組が成立しないケースがあることを聞くと、まだこういうことがまかり通ってしまうんだと驚きます。これが親権だなんて……あまりにもひどい。

私の産みの母も、家庭裁判所の審判記録に名前が残ることが嫌だったかもしれない。でもそれをしてくれたと思うと、それも愛情なのだと思いました。

そういう産みの母に、一度は会ってみたい気持ちもありますね。自分と似ているのかな?と興味があります。

そして、今の家族に会わせてくれたことに感謝しています。

(了)


ご両親からの真実告知を通じて、自分がいかにいろいろな人たちの手によって命をつながれてきたのかを考えたという大久保さん。いまのご両親、生みのお母さん、児童相談所の職員、そして特別養子縁組という社会制度。

あたり前に享受していた人生が、誰かの思いによって支えられ導かれていたと強く感じる瞬間が、誰にでもあるのではないでしょうか。

これまで特別養子縁組に関するさまざまな家族のストーリーを紹介してきました。この連載が家族の多様性について考えるきっかけとなり、社会の想像力につながっていくことを願っています。

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*【ちょこっと補足】倫理観と養子縁組の関係

~養子縁組が年間12万件と言われるアメリカと日本、どう違う?専門家に意見を聞いてみました!~
(フローレンス赤ちゃん縁組事業 スーパーバイザー/ 一般社団法人アクロスジャパン 代表 小川多鶴さんのお話)

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倫理観についての話が出てきました。アメリカでも当然、産んだ人が育てるのが望ましい、という倫理観はあります。
しかし、それを冒すことへの恐れを越えてでも子どもを助けようという「親の決意」に敬意が払われています。
日本は倫理観を守る気持ちが強い国民性ですが、通り一遍の倫理観で止まってしまうきらいがあるような気がします。

アメリカがなぜ映画「ジュノ」のように子どもを養子縁組へ託すことがひとつの幸せへの選択肢として受け止められているかと言うと、「子どもにとって最善の幸せ(The best interest of the child)」をまず、みんなで考えるからであり、養子縁組がその強力なツールの一つとして社会に強く根付いているからでしょう。そこが養子縁組を取り巻く日本とアメリカの大きな違いかもしれません。

アメリカでは、たとえ施設に子どもを預けても、一定期間面会に来ないなどで適切に子どもの養護を行っていないと判断する場合、法によって実の親から親権をはく奪し、子どもを養育する家庭へと委ねるのです。

要するに長期間子どもに会いに来ない親は「親」の責務を果たしていない、という考えです。
病気やその他の事情があって面会に来れない人などは、然るべき理由を証拠と共に申告しなければなりません。

大久保さんのお話をお聞きして、「すごいな」と思ったのは、当時、大久保さんのケースを担当した児童相談所の担当の職員です。まだ社会や行政が養子縁組支援に肯定的でなかった時代に、実母であるお母さんに色々な情報提供をし、養子縁組に向けてのカウンセリングを行ったのだと思います。

今現在、何らかの事情を抱え、お子さんを児童養護施設に預けている親御さんの殆どが養子縁組制度についてのカウンセリングを受けてないようです。そうした生みの親側からみて、選択肢の一つに養子縁組があるという情報がないことも、日本で養子縁組が広がっていない要因だと考えます。

大久保さんの生みのお母さんにある選択肢を知らせ、お母さん自身が大久保さんの幸せのために養子縁組委託を選べたということは、本当に素晴らしいことだと思いました。


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