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育休は家族の基盤をつくる時間であり、生き方まで変えてしまった時間だった【第2回フローレンス男性スタッフ座談会】

育休は家族の基盤をつくる時間であり、生き方まで変えてしまった時間だった【第2回フローレンス男性スタッフ座談会】

#男性育休 #働き方改革 #ソーシャルアクション

スイッチを押そう、男性育休で

フローレンスでは、男性にとっての育休は、「ママの『併走者』ではなく『当事者』へ意識を切り替えるスイッチになる」と考えています。

「男性育休=パパが育児サポート」の時代は終わりました。

男性も女性も関係なく、家事育児の当事者意識を同じだけ持ち、家庭を共同運営していける、そんな新時代の家族のあり方をフローレンスでは提案していきたいと思います。

男性も育休取得をきっかけに、並走者という存在のままでは得られない、一歩進んだ経験値を得られるはずです。さらにそんな男性が職場に復帰したとき、自身の経験や価値観を周囲に波及させることができます。個々の変化がこれからの社会を大きく変える力になるのです。

この考えを、まさに自身の人生で表現してきたのが、フローレンスの男性スタッフたちです。 フローレンス男性スタッフたちが、これまで家庭・育児の当事者として、いかに人生を変革させてきたのか。その姿を座談会形式で臨場感たっぷりにお伝えしていきます。

座談会第2回目となる今回は、フローレンス黎明期を支えた「フロレBIG3」の登場! もちろん全員が育休取得者であり、男性育休のロビイングにも関わった「育休BIG3」でもあります。BIG3でありながら、終始威厳のない感じで進む個性豊かな座談会、ぜひお楽しみください!

第2回座談会のメンバー

森下倫朗(もりした)

森下

40代前半。フローレンスでは「障害児保育園ヘレン」マネージャーを経て、現在東京都品川区の「インクルーシブひろば ベル」を統括。広告会社勤務を経て2011年2月にフローレンスに入社し、一貫して障害児保育事業部創設に携わってきた。一方でフローレンスの全社会議では「司会太郎」の名前で社員を盛り上げるエンターテイナーでもある。子どもは現在12歳と8歳。第二子誕生時、1.5ヵ月の育休を取得。

橋本吉央(もっくん)

橋本

30代後半。金融系のシステムエンジニアからフローレンスへ移籍し、フローレンスのオウンドメディア編集長に着任するという大幅なトランジション体験者。現在「障害児保育園ヘレン」マネージャー。第二子誕生時、2017年に約3ヵ月半の育休を取得。「もっくん」というかわいらしいニックネームとは裏腹の切れ味鋭いコメントをぜひ本編で。子どもは現在8歳と6歳。

石川廉(レン)

石川

30代半ば。フローレンスでは広報チームに所属。大学時代は非営利組織論を研究、新卒でNPOに飛び込んだ後、2014年フローレンスへ入社。入社当初はもりしたと共に「障害児保育園ヘレン」開設に尽力。第一子誕生時に1年間の育休取得と共に、生まれ故郷の沖縄へ移住。現在も日々リモートで軽やかに就労しながら4歳、2歳、1歳という乳幼児三児の育児に邁進中。

モデレーター:中村慎一(にゃむら)

中村

40代前半。フローレンスではみらいの保育園事業部所属。三児の父。本座談会企画の発起人。フローレンスでマネージャー職を勤める傍ら、兼業作家としても活躍。男性育休、ジェンダー、保育園の多機能化などのテーマで取材対応やセミナー講師としても実績多数。みんなの溢れる思いをズバリ言語化してくれる駆け込み寺的存在。主な著書に『お先に失礼します! 共働きパパが見つけた残業しない働き方』(KADOKAWA刊/2017年9月)、『探偵先輩と僕の不完全な事件簿』(KADOKAWA刊/2019年2月)、『江の島ひなた食堂 キッコさんのふしぎな瞳』(KADOKAWA刊/2022年1月) など。

フローレンスの大人たちは、自分の人生の手綱を握っていた(レン)

 

中村

にゃむら

今日はフローレンスで男性育休を語る上で欠かせないメンバーが集結しましたね。楽しみです。

森下

もりした

育休サンキュ~!!!イエ~~~イ!!!!

石川

レン

大丈夫かな、こんなんで……。

森下

もりした

第1回育休座談会の皆さんがめちゃくちゃ立派なこと言ってたからなあ~!あんなこと、僕は絶対言えないですよ~~!!

中村

にゃむら

みんな落ち着いて!このメンバーは細かい話聞いてもらえなさそうだから、とにかくレンくん、しゃべってください……(疲)。

石川

レン

はいさーい!レンです!(※沖縄よりリモート参加中)僕はフローレンス入社当時はまだ25、26歳ぐらいでした。圧倒的に子どもがいるパパ・ママ社員が多かったから、未婚で子どもなしの男性社員なんて珍しくて、すごいアウェー感があったな。

一番衝撃だったのが、入社当初「障害児保育園ヘレン」を立ち上げるぞ!っていう局面で、マネージャーがもりしたさん、面接して内定くれたのも、もりしたさんだったんです。それなのにさ!!4月に入社したときは、もりしたさん自身が育休でいなかったの(大笑)!!

森下

もりした

育休サンキュ~!!!イエ~~~イ!!!!

中村

にゃむら

直属の上司が!?

石川

レン

当時僕は「障害児保育、世に無いものを創るぞ!!」ってフローレンスの門を叩いた、かなり前のめりな若者で、子育ての何たるかも知らなかったし、男性育休なんて、ほとんど知らない世界だった。育休中だったもりしたさんに対しても「身体は元気なんですよね?家にいてやることあるんですか?」くらいに尖ってたんですよ。だからそれを許してるフローレンスっていう組織、そしてこまさん(※フローレンス会長駒崎)、本当に大丈夫なんですか?みんな舐めてるんですか?って、不信感すら持っていました(笑)

森下

もりした

レンくんがそんなこと思ってたなんてつゆ知らず、僕は完全に鼻歌混じりに育休からカムバックしてたよ~(笑)!

石川

レン

そうそう。本当にしれ~っと帰ってきてですね、それで何を言うのかと思ってたら、周りの社員たちは「あ、お帰り~」ってさらっと言うだけで、「お帰りランチ」とか楽しそうにしてるんですよ。僕は置いてきぼりにされた不信感タラタラで参加したんだけど、もりしたさんがまた、その席で本当に楽しそうに育児について話すんです(笑)。

森下

もりした

出産とか育児の話って絶対おもしろいもんね~♪

石川

レン

そうなんですよ。女性も男性も関係なく、出産とか育児とか、パートナーとの話とか、めちゃくちゃ個人的で、絶対男性同士なら話さないような話題をさらけ出し合ったうえに、手叩いて笑ってるんですよ。でもそんな場に何度も立ち会ったおかげで、自分の中で子ども観、育児観が、すごくボジティブなものに変わっていった。この話、もうちょっと広げていいですか?

中村

にゃむら

どんどん広げよう!

石川

レン

僕が新卒の頃、周囲の友達は「ちょっとでも名のある企業に入ろう!」っていう傾向が強かった。いわゆる「いいところ」ね。3年目で1000万稼いでるなんて友達もいました。そんな中で僕はずっと大学でもNPOを勉強してきたし、家族や友達からも「NPOってボランティア団体でしょ?大丈夫なの?」って言われ続けてきたんです。

一方でフローレンスにいると、名だたる企業からフローレンスに転職してくる人たちが山ほどいたんです。年収何千万の世界とは縁を切って、わざわざNPOにですよ!?本当に不思議でした。

だからいろんな人に「なんでフロ-レンスに来たんですか?」って聞くようになったんです。そうすると、育児や家庭生活を人生の中心に据えた上で、多様な働き方のひとつの選択肢としてフローレンスを選んだって答える人が多かったんですよ。パートナーにワンオペ育児させるのが嫌だっていう人もいたし、自分の手で子どもを育てたい人もいたし、副業をしたり、将来、起業するためにという人もいた。

中村

にゃむら

25歳のレン青年には、彼らはどんな風に映ってた?

石川

レン

「人生を自分でコントロールしている大人たち」って感じ。フローレンスで働くことで、人生の選択肢を増やしている、自由な感覚の持ち主っていうのかな。多様な大人たちが周りにいたおかげで、その中で育児に対する自分の気持ちが変容していったのは幸せだったと思いますね。

中村

にゃむら

すごい影響力だったんだね。

石川

レン

若い時ほど、男性社会ではマウントを取り合うものだから、NPOにいて、なおかつ男性育休取るなんてめちゃくちゃ言いづらかったんです。例えば飲み会に行って、「僕NPOで働いてます~」とか言うの、結構恥ずかしかった(笑)。でも思い切って、その場でNPOの話をしたり、育児の話をしたりすると、意外と反応がよかったんですよ。途中から手応えを感じ始めてNPOアピールしちゃってたな(笑)。

フローレンスで多様な大人たちから育児の話を聞きつつ仕事して、みんな楽しそうで自分も成長してて、ああ、こういう「自分なりのものさし」を持ってていいんだって思えました。

働き方も育休の取り方も、それぞれの形があっていいと思う(レン)

森下

もりした

だから育休当事者になったらスッと育休に入ってたよね!

石川

レン

2018年に第一子が生まれたときに1年間取りました~!

橋本

もっくん

こまさんも最初は「1年!?」ってびっくりしてたね。

石川

石川

レン

うん。でもすぐに「そうだよね。育休に男性も女性も関係ないもんね」って納得してくれた。でも僕は当時、新規事業を担当してたから、全部の業務を別の人に引き継ぐのは少し大変かもしれないと思いました。それで、社内で質問が生まれたときだけ、僕が稼働して対応してもOK、という「半育休」という仕事のやり方を選択したんです。

中村

にゃむら

この「半育休」はその後、もっくんがこまさんと一緒に国へ提言してた制度だね。

橋本

もっくん

こまさんが男性育休義務化のロビイングを進めるにあたって男性育休をより現実的なものにするために必要な制度として、「半育休」を位置づけていたんです。国家戦略特区のワーキンググループ有識者ヒアリングの場でお話するときに、半育休について提案書をつくって、育休中の就労制限を緩められるとこんなメリットがあるというお話をしに行きましたね。

★補足のおはなし★

従来、育休中は原則就業不可とされていましたが、令和4年10月1日の育児・介護休業法の改正によって、労使協定を締結している場合に限り、労働者が合意した範囲で休業中に就業することが可能になりました。法律が定める範囲で、育休中でありながら限られた時間のみ「少しだけ働く」スタイルが選択できるようになったので、意思決定のみに参加する、1日2時間だけ質問に応える、大事なミーティングにのみ参加するなど、働き手の事情に合わせて業務参加ができます。会社との情報断絶がないぶん、育休に入る際も戻る際も、心理的にスムーズというメリットがあります。

石川

レン

僕は育休に入る段階で沖縄に拠点を移したから、もし仕事が全くできなければ、社会との断絶感があったはず。でもフローレンスのチャットに参加して、みんなと会話もできていたから、戻ってくるときもスル~っと戻れたと思っていますね。

中村

にゃむら

育児か仕事が、片方だけにフルコミットするよりも、バランスを取りたい人だっているもんね。じゃあレンくんの上司だったもりしたさんにとって、育休はどんな日々でしたか?

第二子誕生時の育休取得で築けた、上の子との絆(もりした)

森下

もりした

僕は第二子誕生時に1.5ヵ月の育休を取りました。当時はこまさんしか育休取得実績がなくて、僕が男性社員では初の取得者になったみたい。まあ、レジェンドですよね~。

橋本

もっくん

自分でレジェンドとか言わないでもらいたい……。

森下

もりした

僕は本当に何も考えてなくて、たまたま、パートナーが第二子を妊娠しているという話になったときに、こまさんに「じゃあ育休どんぐらい取るーー??」って勢い良く聞かれたので、全然崇高な思いも責任感もなく取りました。

石川

レン

しかも僕を置いてね……。

森下

もりした

僕はマネージャーではあったけど、チームは優秀な人揃いで、すでに僕はいてもいなくても変わらないくらいにしか仕事をしていなかったのね(大笑)!当時インターンの学生さんがいたんだけど、外部の人たちは、その学生さんが僕の上司だって、ずっと思っていたくらいなので(笑)!

全員:(爆笑)

森下

中村

にゃむら

崇高な思いのない育休はどうだったの?

森下

もりした

いやそれがね~。私の妻は無敵、最強系の妻なもので、ほとんど新生児のお世話は問題なくできちゃっていたのね。だから僕は当時3歳だった上の子のケアに回ることにしたんです。きょうだい児の出現で、過敏になっているであろう彼女と、本当にこの時期よく遊んだな~~!

だからこの時期に僕は彼女との関係性の基礎が築けたように、今になってみると思います。今は小6という多感な時期なんですけど、幼児の頃から関係性をつくってきたから、今も対等に話せるし、娘からも積極的にコミュニケーションを取ってくれますよ。

中村

にゃむら

良かった!いい話出た(笑)!!

森下

もりした

ごめんごめん、お待たせ(笑)!!

娘の出発点として、「パパは私に愛情を持って行動を取ってくれる人だ」という意識が備わっているなって、今でも僕は感じられているんです。そんな未来を狙って育休を取ったわけじゃ全然なかったけど、結果的に娘と僕の出発点は育休だったと思う。

森下

僕がいない間、仲間たちは完全に自立自走集団に生まれ変わっていた(もりした)

中村

にゃむら

もりしたさんは育休中は育児にフルコミットだったんですよね?復帰するときはどうだった?

森下

もりした

もう二度と仕事へは戻れない、くらいに思ってた(笑)。新規事業だった「障害児保育園ヘレン」立ち上げのスピード感は凄まじいものがあったし、1.5ヵ月も現場から離れたら、絶対ちんぷんかんぷんになるって思ってた。

中村

にゃむら

実際は?

森下

もりした

すんごいちんぷんかんぷん!!でもさ、よく考えたんだけど、俺社会人になってからずっとちんぷんかんぷんなんだよね~(大笑)!!育休とか関係ないんだよ~~~!!

全員:(爆笑)

石川

レン

もりしたさんが育休に入っている間に、もりしたさん以外のメンバーがどんどん知識つけていって、自立自走チームになっていたんです。全員が自分で意思決定できるから、マネ-ジャーに意思決定してもらう必要がなくなってたんです!!

中村

にゃむら

全員が決定権を!?全世界が羨むチームだね。もりしたさんは自分はちんぷんかんぷん、でも部下は能力が爆上がりしてる!そんな状況でどうしたの?マネージャーとしてさ。

森下

もりした

もう知識でいったら、みんなの方が圧倒的に劣っているのよ。だからひたすら空気づくり!あとは、みんなの強みを見出して、それを活かせるような仕事をやってもらうようにしておりました。あとは、意味は分からないけど、とりあえず「よっしゃ!いこーぜ!!」って言う。そしてひたすら「みんなありがとう~~~!!!」ですよ(大笑)。

中村

にゃむら

ある意味、最高の上司かもしれん!じゃあ次はもっくんのお話を聞きましょう。

フローレンスにきたということは、家族を中心に据えた人生を選んだということ(もっくん)

橋本

もっくん

僕が育休を取ったのは第二子誕生時でした。そのときフロ-レンスのサイトが新しくなって、オウンドメディアまで立ち上げて、どんどんコンテンツが必要になっていた時期でした。僕はその編集長だったんですけど、その仕事をしつつの育休ということになりました。いきなり編集長を引き継がれた方も絶対に負担が重いだろうから、レンくんと同じく、半育休を選択したんです。

橋本

中村

にゃむら

もっくんが育休を取るにあたっては、心理的ハードルになっていることはあったの?

橋本

もっくん

女性は出産があるから、産育休を取る、ということしか選択肢はないけれど、男性は仕事を引き継ぐことが「ちょっと申し訳ない」という心の制約になることはありえますよね。そんなときは、ゼロか100かじゃなくて、さまざまな形を模索すればいいんだと思いました。だから当時半育休という制度はまだ確立されていなかったけれど、人事や上司と話し合って働き方のバランスを決めていきました。

僕はレンくんみたいに陽キャじゃないから、周りの友達がどんなふうに働いているかはあまり気にならず、自分は自分でいいかもな~って思ってた。今もずっとそう。

石川

レン

陽キャって(笑)。

橋本

もっくん

僕の前職は、すごく男性的な会社で、金融系のSEだったんです。上の子が生まれたとき、職場で「『おかあさんといっしょ』のあの曲いいっすよね~」って言っても、誰からも反応なくシーンとなるような職場でした。そんな環境では育児の話とか子どもの話とか、ましてや男性同士で話題に出てきようがないですよね。

その中に身を置き続けても、きっと自分が幸せになる生き方にはならないな、とずっと考えていて、それでフローレンスにきました。

中村

にゃむら

育休取るときはどうだった?

橋本

もっくん

当時の上司に「奥さんが妊娠して」って言ったら、「じゃあ育休どんくらい取るの?」って聞いてくれた。「取る?」じゃなくて「どれくらい取る?」って聞くっていうのはフローレンスの基礎動作なんですね(笑)。育休中も属人的な仕事についてはこなしていたから、育休に入るときも復帰する時も全部がスムーズでした。

石川

レン

こんな陽キャな僕だって、戻るとき、「席はあるのか?仕事の話わかるか?」とか不安でしたよ。でもちょっと仕事に片足を残していくといいですよね!

橋本

もっくん

そうそう。情報の断絶がないことは本当に大事だよね。

育休中はもりしたさんとすごく似ています。第二子が生まれたところだったから、上の子のフォローがメインでした。育休中は保育時間も少し時短になってたから、保育園終わって公園で1~2時間遊んで帰るってことを毎日していました。この時期に上の子との関係が深まっていった感覚はあったかな。

中村

にゃむら

関係が深まっているというのは、どういうところで実感できるのかな?

森下

もりした

「小6女子がここまで父親に言ってくれるんだ!」って驚くくらい、心の中を打ち明けてくれていると思うんだよね。

中村

にゃむら

なるほど。「自分と関係ない」と思う人には心を打ち明けようって思わないもんね!

橋本

もっくん

うん。「一緒に生きている実感」を僕も感じるし、子どもからも感じられている気がするな。

橋本

女性の闘いをないことにして、安住する夫になりたくなかった(もっくん)

中村

にゃむら

一人目のときは前職で育休が取れなかった。二人目はフローレンスに転職してきて育休を取った。それを比べて今思うことはある?

橋本

もっくん

一人目のときこそ、取るべきだった……。これに尽きます。パートナーは、一人目のときに里帰り出産をしました。だから一人目ならではの「これで本当にいいんだろうか?」という日々の悩みには、実家のお母さんやお父さんがサポートしてくれていました。でも彼女にはその闘いを一人でさせてしまった。僕はそれに完全に安住していた。

 全員:出ました、「安住」ーーーーー!!!!

中村

にゃむら

「安住」についてはみんな絶対言いたいことあるよね?

森下

もりした

僕の前職は広告会社で、育休はもちろん取れず、出産後も翌日から仕事してたけど、妻はちょっと産後鬱みたいな状態になっていました。

それでも僕はそれがまずいこととも認識できなかった。「そんなものなのかなー」みたいな。もちろん今思えば、社会の空気に飲まれまくって、まずい方向に自分が流れていたなってわかるんですけど。それに気づけたのはフローレンスに来てからだった。「安住」は男の思考を止めるよね……。

男性育休は、本人の未来も会社の未来も変える伝播力がある(レン)

石川

レン

そして育休を取った方が全方位にメリットがあるって思ったのも、フローレンスにきてからでした。

橋本

もっくん

そうなんだよ。絶対的にメリットがあるよね。

石川

レン

お金もらって、休めて、パートナーとめちゃくちゃ仲良くなれて、子どもめちゃくちゃかわいい。本当にいいことしかなかった!!フローレンスの先輩たち、教えてくれてマジありがとうっ!!って思った。

僕は一人目で育休を取れたから、家族全員で家族の基盤をつくれたのは本当に幸せだった。妻が作り上げた家事・育児システムに乗っかると、もうどこで入っていいのか分からなくなっちゃう。一緒にシステムを作った方がお互いが自由にそのシステムをカスタマイズできるのもメリットかなと。

石川

森下

もりした

そうそう!!わかる!家事も育児も男が最初からフルコミットしてシステムをつくらないとだめだよね。家族の基盤をつくる時期に「家族全員で家庭を回す」意識からスタートできる。これが育休最大のメリットかもしれない。誰でも家庭を回す意識を持っていることが、家庭が健全に長く維持できる秘訣かもしれないと思います。

石川

レン

こういう家庭の話って、仲が良い友達とか、好きな上司とかが実利の部分を教えてくれると、いいモデルケースが伝染していくんですよね。

森下

もりした

育休取った人って育休の良さを実感してて、伝染力がありますよね。信頼してる人からおすすめされたから「やってみよう」と思うわけで、政府が取りましょうって言うよりも、リアリティがあるよね。

橋本

もっくん

しかもこれからは、男性育休が取りづらいなんていう古い体質が残っている企業は淘汰されていくでしょうしね。もしそんな会社にいるなら、「この先自分がこの会社で社会に価値を出し続けられるのか」ということは自問した方がいいですよね。

その結果、社会にも自分にもいい働きかけができる組織に身を移したいと思うのは、働き手として妥当なことじゃないかな。

中村

にゃむら

前の会社ではそういう個人的な話ってまったくみんななかったの?育児の話を交換する文化もない?

森下

もりした

もちろん少しはあったよ。でもフローレンスで交わされる会話は、やっぱり視座が違うと思う。育休ひとつとっても、フローレンスはみんなで未来を見て話をしている。その人の家庭の未来、キャリアの未来、社会の未来までをみんなで共有したくて「育休いつ、どれくらいとる?」って話しかけてる。その違いは確実にあるなあ。

中村

にゃむら

もりしたさんは、やっぱり締めがうまいね(笑)!今日も名言だらけの座談会、ありがとうございました。

森下

もりした

よっしゃ!!みんなありがと~~~う!!

全員:(笑)


第2回を終えてますます熱を帯びる男性育休座談会!

フローレンスにはさらに濃い話をしたがっている話者たちが控えています。

座談会は続きます。男性育休があたりまえになる日まで。次回をお楽しみに!

第1回フローレンス男性スタッフ座談会記事はこちらから▼

男性たちが家庭の当事者になるには、この座談会のように

男性たち自身が主体的に「自分」を語ることがきっかけになります!

家庭のこと、育児のこと、「気持ちのシェア」始めませんか?


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