フローレンスは2014年に、日本で初めて医療的ケア児を専門に長時間お預かりする「障害児保育園ヘレン」を東京都・荻窪に立ち上げて以来、医療的ケア児ご家庭の支援にとりくみ続けています。
フローレンスが東京で培ってきた知見を活かし、仙台でも医療的ケア児家庭の支援を始めたのが、2021年。
それから3年間、支援を続ける中で多くのご家庭の悩みのタネになっていることがありました。それは医療的ケア児を育てる親御さん同士のつながりや、情報が少ないことでした。親御さんたちはほしい情報になかなかリーチできず、必要な支援を得られないために仕事もやりたいことにも、自由にチャレンジしづらい環境にあったのです。
「支援がほとんどない状態で退院したので、働くこともすべて諦めて私が家で一人でこどもを見るしかなかった」
「病院、行政、民間施設のつながりがなく、受け身では誰も何も教えてくれないので母親が子育ての傍ら自分で情報を集めるしかない」、フローレンスにはそんな声が度々届きました。
そんな思いを抱える親御さんを一人でも少なくしたい――
フローレンスと、仙台に住むある医療的ケア児のお母さんの思いが重なって今回発行されたのが「医療的ケアが必要なお子さんと家族のための支援ガイドブック~仙台版~」(以下、医ケア児支援ガイド仙台版)です。
医ケア児支援ガイド仙台版とは?
医ケア児支援ガイド仙台版は、一般社団法人スペサポが札幌市在住の医療的ケア児家庭の情報不足解消を目的に制作したガイドブックを仙台市用にアップデートしたものです。
ガイドブックの目次
ガイドブックでは、在宅生活を家族で安心して始めるために必要な福祉や手当に関する情報が一冊に集約され、読みやすくまとめられています。
「このガイドブックの仙台版を作りたい!」とフローレンス仙台支社のスタッフに申し出たのが、仙台で医療的ケア児を子育てしていた小澤さんでした。
小澤さんとフローレンスがどのように出会ったのか、フローレンスの仙台チームは仙台の医療的ケア児家庭を取り巻く環境にどのような課題を感じていたのか、インタビューしました。
在宅支援ゼロでの退院。つながりがなかったのでそれをおかしいとも思わなかった
小澤さんプロフィール
仙台在住で、小学校1年生の医療的ケア児の子育て中。
自分自身が医療的ケア児の子育てで感じた課題を次世代に残したくないとSNSやWEBで発信している中でフローレンススタッフと出会い、2021年から業務委託としてフローレンスに関わる。医療的ケア児家庭のインタビューなどリアルな声を発信している。
ーーー小澤さんは仙台で子育てされていますよね。お子さんが生まれてから退院するまでの様子を教えて下さい。
小澤さん
息子は現在小学校1年生で、この春から特別支援学校に通っています。障害が分かったのは生まれた後でした。もともとお腹の中での育ちがあまり良くなく、生まれてからも哺乳不良で頻繁に吐いたため、経管栄養の管を鼻につけて生後1ヶ月で退院しました。その後も発達に遅れなどがあったのですが、原因に遺伝子疾患があることが1歳半〜2歳の頃に分かりました。
ーーー在宅生活はどのような感じでスタートしたのですか?
小澤さん
退院の時に訪問看護など一切の支援がつかず、最初に頼れる人と言えば家に来てくれる保健師さんしかいませんでした。
ーーーそんなことあるんですか!?
小澤さん
そうですよね(笑)。この話をすると大抵皆さん驚くので、その反応で「普通じゃなかったんだ」と気付かされた感じです。支援があるなんて知らなかったし、こどものケアは家族だけでやるものだと思っていました。退院支援をしてくれる病院の看護師さんも家族でやる前提で話をされたので、それを異常とも思いませんでした。
でも在宅生活を始めたら困ることがいろいろあります。
困ったことを担当保健師さんに相談してみたこともありましたが「病院に相談しましょう」としか言われず解決しないまま。一番心が折れたのは「私は働けるのか」「この子が通える場所はないのか」という疑問に対して、「医療的ケア児を預かる保育園はない」と言われたことです。社会から断絶させられた気分でした。
小澤さん
今思うと正確な情報ではないのですが、その時は分かりませんでした。働けないし、預け先もなかったので、二人きりで家に引きこもるしかありませんでした。コロナもあって外部とつながれず、かなりきつかったです。この頃の話をする時いつも思うんですが、ほんとによく頑張ったと思います。でも記憶がないんです。すごくつらかったし、寝れなかったし、自分の時間がほしいと心から思っていたことは記憶にあるんですが、どう過ごしていたのか記憶がない。それほどつらい時期でした。
ーーーその後どのタイミングで支援とつながれたんでしょうか。
小澤さん
1歳後半くらいの時に病院の紹介で仙台市発達相談支援センター(アーチル)につながることができました。でも、つながった直後にコロナが大流行したので、実際に療育に通えるようになったのは3歳の頃でした。3年間自宅で過ごしていたので、通所を始めて生活がものすごく整い始めました。
「相談支援員」「ヘルパー」「訪看」…。知らなかった支援との出会い、ママたちとのつながり
ーーー療育に通って、具体的にどんな変化がありましたか。
小澤さん
一番の変化は情報が手に入るようになったことです。同じ境遇のママたちと出会えたことで入る情報の種類も量も驚くほど変わりました。「支援してもらえる」という考え方がなかったので、ママたちと話す中で「相談支援員」「ヘルパー」「訪看」といろいろな言葉を初めて知り、最初は「えっ何それ?」「知らなかった…」の連続でした。支援というものがあって、私も使えるんだということが増えてきたことで、生活が劇的に変わりました。
小澤さん
生まれる病院によっても退院支援が整っているところとそうでないところがあります。担当の保健師さんがたまたま詳しい人になると0歳から仙台市発達相談支援センターとつながれるケースもあります。
あとは親御さんのバックグラウンドにもよります。私のママ友に保健師資格を持っている方がいるのですが、その方は医療的ケア児には詳しくなかったけれども、何かしら支援はあるはずだという嗅覚があったので、必死で自分で探し回って情報を得たそうです。
ーーーその時に感じた思いがガイドブックにつながっていくんですね。
小澤さん
そうですね。「誰にでも同じ情報が行き渡ってほしい」と強く思いました。それでnoteなどで自分が得た情報について発信を始めたのですが、その過程でフローレンスの仙台支社のスタッフとSNS上で知り合いました。色んな思いを話す中で、実際に会うことになったんです。
会って「ガイドブックを作りたい」と伝えたところ、「うちでやったらいいじゃん」と意気投合して。
フローレンスは「作りたいけど作り手がいない」、私は「作りたいけど場がない」。お互いの思いの凸凹が一致したんです。
親御さんたちがやりたいことを諦める姿を見てきたフローレンス
小澤さんの「情報がないからやりたいことができない」という経験は、実は仙台市の医療的ケア児家庭全体の課題でもあります。
フローレンス仙台支社では、2021年10月より医療的ケアに対応した看護師がご自宅でお子さんをお預かりするサービス「医療的ケアシッター ナンシー」を始めました。
そこでわたしたちが感じたのは、仙台市の医療的ケア児ご家庭では情報やつながりがないことから、ご家庭が本当はやりたいことを諦めてしまっているということです。
仙台ナンシーのマネージャー古山はこう話します。
古山
仙台では、お母さんは働くことを諦めるのはあたりまえ、その代わりお父さんはその分働く必要があるといった風潮があるように感じています。その中でお母さんは24時間お子さんにかかりっきりになり社会とのつながりは出入りする訪問看護師さんだけ。お買い物は休日にまとめてやることが普通で、きょうだいを生むことを諦めている方もいらっしゃいました。
ナンシーの事業コンセプトは親子の”『やってみたい』を一緒に叶える。”なのですが、そういった環境があたりまえなので、そもそも親御さんが『やってみたい』ことすら思いつくのが難しいケースが多いのだと知りました。
その原因の一つには、ご家庭同士のつながり不足による孤独な子育てや、情報格差があると考えています。
古山
例えば、医療的ケア児家庭にお弁当や食品をお届けする『医ケア児おやこ給食便』で出会ったご家庭の中には、退院時の在宅支援がまったくなかったというご家庭もありましたし、『うち以外に医療的ケア児を育てている方がいるんですか?』『きょうだい児の困りごとに気づいてくれる方がいるなんて‥』と言われたこともありました。
障害児を育てる親御さんも、子育てをしながら趣味の時間を持ったり仕事をしたりすることをあたりまえに望んで良いと思います。必要な支援の認知度が高まり、地域に関係なくその支援が使える社会にしていきたいです。
まずその第一歩として、ガイドブックをつくって仙台のご家庭に偏りのないフラットな情報を一覧化して届けることができれば課題解決の一助になると思いました。このガイドブックが浸透して、医療的ケア児家庭の退院時には手元にある状態があたりまえになると、『親が見ることがあたりまえ』という価値観や孤独な子育ても変わってくるんじゃないかと思っています
誰でもほしい情報を得られて、それぞれが望む子育てができる社会へ
ーーーガイドブックをどんな人たちに届けたいですか?
小澤さん
在宅生活をまさに開始する人、在宅生活が始まったけど困ったことが起きていてどうしていいか分からない人に困りごとを解決するための情報の糸口を見つけてもらいたいって思っています。
自分がまさにそうでしたが、在宅生活で困ったことはたくさんあったけど、誰に聞いていいか分からなかった。でもこどもはちゃんと安全に育てないといけない。だからひとり暗闇でがむしゃらに頑張っている感じでした。
でも実は、わたしたちは決してひとりじゃなくて応援してくれる人たちがたくさんいます。ガイドブックがあれば、歩き方のコツが分かって、たどりつくことができる。RPG(ロールプレイングゲーム)の攻略本みたいなものです。情報を全部は載せられないけどたどり着く糸口にはなって、たどっていったらなんとかなる、というものを目指しました。
古山
ガイドブックはすでに、仙台支社のスタッフたちでいろいろなところに配っています!
ーーーまずは支援ガイドブックが完成しましたが、今後はどんなことに取り組んでいきたいですか?
小澤さん
支援ガイドブックも完璧ではありません。まだまだお伝えしたい情報がたくさんあります。
私は、医療的ケア児の親御さんが自分でなんとか頑張ったり、運で情報に巡り合えたりすることだけじゃなくて、ベルトコンベアーみたいに乗っていれば情報にいきつける社会にしたい。昔の自分に情報を届ける気持ちで発信をしていきたいなと思っています。
古山
情報を発信しながら、ご家庭がやってみたいことを一緒に見つけ、そして一緒にチャレンジしたいです!
例えば、親御さんとつながる中で、みんなで楽しめるトレッキングやキャンプをしたいという声も聞きました。無理かもしれないと思いながら伝えてくれていると思うので、なんとかして一緒にやりたいと思っています。
どのご家庭も「子育て」したいだけなんです。
医療的ケアをやっているとそれだけで1日が終わってしまう感覚なので、わたしたちを含めた社会でサポートして、ケアだけではなく「子育てをする」ということを一緒にかなえていきたいと思います。
どこに住んでいても誰もが同じような情報にアクセスして医療的ケア児親子が自分たちの希望する選択ができる社会へ。
支援ガイドブックは大きな一歩ですが、そんな社会の実現のためにはまだまだ乗り越えるべき壁がたくさんあります。これからもフローレンスは、当事者や関連団体と手を取り合いながらチャレンジし続けます。
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