“障害者支援”は当事者のためだけのもの——?
フローレンスは毎年、障害児家庭が“つながる”ための家族交流会を開催しています。これは「支援の情報を知る機会がない」「お出かけをすることさえ難しい」といった声をきっかけにしたもので、社会から孤立しがちな重症心身障害児や医療的ケア児の家庭に交流の場を提供することを目的としています。
2025年度、筑波大で社会福祉学を専門とする大村さん、EY JapanでDE&Iに取り組む梅田さんが新たに参画。企画段階から試行錯誤し会を一緒に作り上げました。
“つながる”ことが当事者にとって、そして社会全体にとってどんな意義があるのか? 誰にとっても豊かな社会を目指して協働する三者に話を聞きました。
前後編でお届けします。後編はこちら
話を聞いた人|大村 美保 さん

筑波大学助教。障害のある人がメインストリームでその人らしく生きる社会の実現を目指して研究している。
話を聞いた人|梅田 惠 さん

企業の広報や人事分野で経験を積み、ダイバーシティやインクルージョンに取り組むようになった。現在はEY Japanで障害者雇用や次世代の育成に取り組んでいる。
話を聞いた人|安野 早紀子

フローレンスの職員として家族交流会の開催を担当した。フローレンスでは医療的ケアシッター ナンシーの運営に取り組んでいる。
開催支えた偶然の出会い
フローレンスの担当の安野は二人との出会いを「実は偶然。本当に運が良かった」と振り返ります。出会いのきっかけは家族交流会の“会場探し”でした。
このようなイベントの開催には、資金や会場、企画アイディア、スタッフなど多くの支援が欠かせません。フローレンスでは、2024年度から日本オラクル株式会社ご協力のもと、家族交流会を開催しています。
今年度は会場探しが難航しましたが、日本オラクルからEY Japanの梅田さん、そして梅田さんの大学院での担任である大村さんへと紹介の輪が広がり、筑波大学東京キャンパスの一画をお借りできることになりました。
初めは“場所を借りる”という目的でしたが、安野とお二人は次第に“企画から一緒につくる”関係に。この偶然の出会いが特別なものとなった背景には、三者がそれぞれに抱える支援への思いがありました。
支援に心を寄せる理由
──みなさんはどのような経緯で障害のある人や家族の支援に関わるようになったのでしょうか。


大村さん
家族に視覚障害があったことがきっかけです。視覚障害のある人たちと点字のついたトランプで遊んだり、自立した生活のため“もがく姿”を見て育ってきたので、自然と政策と暮らしとの接続に関心を持ちました。

大村さん
団体で勤務している間には、支援の現場に出ていたこともあります。こういった経験から、現在は障害のある人が社会から排除されずに、どうすればあたりまえにメインストリームで生きていけるかといったテーマで研究をしています。

梅田さん
企業で広報をするなかでダイバーシティ推進に関わるようになりました。勤務している会社で、何人か辞める女性が出た際、お子さんに障害があるからという理由を聞くようになったんです。ケアが必要で仕事との両立が難しいとか、会社でこういった事情について話す機会がないという話を耳にしました。

梅田さん
また、親友に障害のあるお子さんが生まれたときにも、そのことを全然伝えてくれなかったんです。理由を聞いたら、「そのことを言うとこどもの話ばっかりになっちゃうでしょ。対等な友達でいたくて、かわいそうな母という風に見てもらいたくなかった」と言われて……ちょっとショックでした。

梅田さん
そういった経験を経て、何かできることはないかなと考えるようになったんです。今はさまざまな取り組みをしていますが、それぞれの事情や背景がありのままに受け入れられていて、肩身の狭さを感じずに仕事を通じて自己実現ができる社会がわたしの理想です。

安野
わたしは学生のころから「こどもが安心して育っていける社会」に貢献できる仕事をしたいと思っていたんです。それでフローレンスに入職して、今は障害児・医療的ケア児家庭の支援に取り組んでいます。

安野
障害児のいるご家庭の支援に関わるなかで、一人ひとりの違いが受け入れられる社会こそが豊かな社会だと感じるようになりました。誰でも支援が必要になる可能性はあるので、フローレンスの支援は自分を含んだすべての人のためにあるのではないかと考えています。
障害児家庭と社会の“つながり”が生む価値


安野
お二人のお話を聞いて、改めて誰しもが違いを受け入れられて、あたりまえに暮らせる社会へ向かうために、“つながり”が重要になると感じます。

安野
フローレンスの同僚から聞いた話が思い浮かびました。公園でこどもと遊んでいた際に、障害のあるお子さんが一緒に遊びたそうにしていたそうなんです。
多くの方にとっては戸惑う場面かもしれません。
ですが、その同僚は普段から障害のあるお子さんと接しているので「一緒にあそぼう」と自然と声を掛けられたと言っていました。
普段の暮らしの中で接する機会があることで、戸惑いや不安は無くなっていくのではないかと感じます。

梅田さん
大村先生の講義で聞いたのですが、イタリアでは1970年代から精神病院を無くし、社会との接点をつくるようにしているそうです。日本では分けてしまうことが多いですよね。一見、保護しているようですが、それが偏見を生むことにつながるのかもしれません。
──たしかに、当事者の方と接する機会がなかなか無いという人は多いように思います。一方で、障害児・医療的ケア児のご家庭自身はどのような環境に置かれているのでしょうか?

大村さん
障害福祉全体においては30年前とは比較にならないほど、社会資源や福祉サービスは充実してきています。困っていた方々が声を出した結果、充実してきたという歴史ですね。使える事業所やサービスがなくて、家にいるしかないという状況はほぼないのかなと思います。

大村さん
ただ、医療的ケアの必要なお子さんや重度の障害のあるお子さんに関しては、まだまだそういった家族の声が十分に届いていなかったり、支援やサービス自体もそれほど多くないのが現状です。
母集団の人数が多く、声が大きくなればなるほど、ニーズがしっかり伝わって制度も整備されていくのですが、まだ人数的にも声的にもなかなか届いていない。この数十年で、医療技術が進展したことで、かつては命を失ってしまったようなケースでも、人生を歩むことができるようになりました。その分、医療的ケア児やその家族のように、まだ数の少ない領域には支援が行き届いていないといえそうです。

大村さん
逆に、フローレンスのような医療的ケアに特化した事業者は資源の情報をたくさん持っているので、情報伝達という意味で、大きな役割を果たしているのではないでしょうか。

安野
ご家庭によってさまざまですが、ある親御さんの言葉が印象に残っているんです。
「退院後に何の制度が使えるかわからないまま、社会に放り出されてしまった」と仰っていました。

安野
フローレンスが支援している多くのご家庭の場合、お子さんが生まれたあと、長く入院して、ようやく地域に戻っての生活が始まります。この言葉はそういった際に、情報を得にくいということを指しています。各自治体や支援団体が情報提供の努力をしているものの、受け手側からは情報が点在して見えることが多いです。また、母数が少ないので、病院や地域で出会う支援者の経験値も人それぞれで、どういう人と出会うかにすごく左右されると感じています。

安野
さらに、保護者自身が情報収集や相談をするために動くことのハードルも高いんです。「ケアに追われて気力がない」「こどもと一緒に外出するためには安全のために気を使うことがたくさんある」「周りの目が怖い」といった声を聞いてきました。社会とつながること自体がなかなか難しいのだろうと感じています。

梅田さん
家庭全体への支援が必要なことは企業の立場からも感じています。

梅田さん
それで考えたのは、障害者雇用という文脈で本人に向けて活動するだけではなく、家族に対しての働きかけができないかということでした。
EY Japanで「障害のある子と家族の未来」というテーマでイベントをやったら、社内外合わせて300人くらい集まったんです。すごく反響があって、関心の大きさを実感しました。その後、社内で障害のあるこどもを育てる社員のコミュニティ活動などもしています。

──他のご家庭や社会とつながりたいけれど、そのハードルが高いからこそ支援が必要なのだと感じました。今回、三者で取り組んだ「家族交流会」はどのようにアプローチしようと考えたんですか?

安野
まずはご家族にとって「一歩踏み出す」「他の家族と出会う」「さまざまな生活について知る」ということが大事なのではないかと考え、安心して交流してもらえる場になることを目指しました。

安野
また、障害や医療的ケアのある方と接する機会がなかなかないというお話がありましたが、ボランティアとして参加する大学や企業の皆さんにとって、ご家庭と接点をもつ機会にもなるように準備しました。
ここまで、三人の支援に対する思いを聞いてきました。では、実際の交流会では、どのような景色が広がっていたのでしょうか。大村さんは当日の様子を「想像をはるかに超える素敵な集まりだった!」と振り返ります。
インタビューの後編では、会場で生まれた印象深い2つの“つながり”と、NPO・大学・企業のコラボレーションがもたらした価値に迫ります。


