「こどもが熱を出したので、仕事を休みます」。
そう伝えたことで、仕事を失った母親がいました。
そんな話を聞いたことがきっかけで、フローレンスは2005年に「共済型・訪問型病児保育」をスタート。会員4名・スタッフ数名から始まったこの事業は、少しずつ仲間を増やし、2025年に20周年を迎えました。
共働き世帯の増加、家族のかたちの変化、そしてコロナ禍。社会とともに病児保育に求められる役割も変化し続けています。今回は自身も病児保育の利用者だったフローレンス副代表理事の杉山富美子が、創業から現在までの20年を振り返ります。
話を聞いた人 杉山富美子

フローレンス副代表理事
自身の子育てにおいてもフローレンスの病児保育を利用しており、寄付者としてもひとり親支援プランを支えていた。2015年に「より社会にとって意味のあることをしたい」とフローレンスへ入職。病児保育事業部マネージャーを経験後、病児保育事業責任者を務める。「あらゆる親子のピンチに駆けつけるフローレンス」を目指して奔走中。
子育ての“あたりまえ”で仕事ができなくなった時代
こどもが熱を出すことは、成長の過程で避けられない“あたりまえ”の出来事です。しかし以前は、その“あたりまえ”が、親の就労を脅かすこともありました。
フローレンスの訪問型病児保育は、こうした出来事を原点に生まれました。
──フローレンスの病児保育は、どのような社会環境や思いから始まった事業なのでしょうか?
杉山:フローレンス創業者の駒崎の体験がきっかけなんです。駒崎のお母さんがベビーシッターをされていたのですが、利用者から急に「もう来なくていい」と言われたそうなんです。詳しく聞くと、お子さんの病気で仕事に行けないことが増えてしまい、それが原因で仕事を失って、シッターもいらなくなってしまったと。
こどもは病気を経験しながら免疫をつけていくので、熱を出すのは“あたりまえのこと”ですよね。なのに、当時はその”あたりまえ”が仕事を失うことにつながってしまう現実がありました。ひとりの母親の体験ではありますが、そこには個人の問題ではなく、社会構造に解決すべき問題があるのではないかと考え、事業として取り組み始めたんです。
──子育ての“あたりまえ”と、親が働くという“あたりまえ”の両立を目指したんですね。
病児保育を立ち上げたころ、フローレンスでは「子育てと仕事、そして自己実現の全てに誰もが挑戦できる、しなやかで躍動的な社会」というビジョンを掲げていました。わたし自身も大好きなビジョンなので覚えているのですが、まさに子育てと仕事の両立を目指していたんだと思います。
お子さんが病気になって熱を出すというあたりまえと、仕事をしながら自己実現をしていくことが、両立できることを社会に成り立たせていきたい。
この思いが、フローレンスの病児保育の第一歩でした。フローレンスは「こどもの病気で親が働けなくなるのは仕方がない」という前提そのものを変えることを選んだんです。

事業の継続を支えた共済型
こうしてスタートした病児保育。しかし、事業として続けていくためには費用の壁が立ちはだかります。
「何とか継続させていけないか…」。その思いから生まれたのが、利用者みんなで支えあう“共済型”の運営体制でした。
──フローレンスの病児保育は共済型が特徴です。この仕組みはどうやって出来上がったんですか?
ご自宅に訪問して保育するスタッフを確保し、研修し、日々の保育の安全を担保する事務局体制を整えるのは資金が必要です。そのため、実際に訪問して1日保育するスタッフの人件費だけではなく、費用がかかる仕組みになってしまったんです。
ただ、その費用を利用のたびにすべて利用者が負担するとなると、継続的に使うことはとても難しい。では、どうすれば必要な人に、必要なときに届け続けることができるのか。そう考える中で生まれたのが共済型でした。
──どのような仕組みなのでしょうか?
共済というのは、保険のように、みんなで会費を出し合い、誰かが困ったときにそのお金で病児保育を提供する仕組みです。自分が使わないときには誰かのために、自分が困ったときには支えられるという、支え合いの形になっています。
この仕組みを導入したことで、病児保育を「必要なときに使えるもの」として、事業として継続的に提供できるようになりました。
こうした仕組みを選んできたこと自体が、フローレンスの特徴なのだと思います。「使った人が負担する」だけではなく、「みんなで支え合う」という考え方ですね。
──杉山さんは自身も利用者だったそうですね。当時の子育て環境は今と違いますか?
上の子が20歳になるので、こどもの成長とフローレンスの病児保育の歴史が重なる世代ですね。当時はまだまだ仕事と子育てを両立させるのは、すごく難しい時代でした。
現在では社会もだいぶ柔軟になってきて、こどもを持ったら働き方が変わることが受け入れられるようになりましたが、当時は働き方を“変えず”にこどもを育てなければならないような環境で、多くのご家庭が苦労されたんじゃないかと思います。
わたし自身も自分の両親のサポートや保育園、そして病児保育といったさまざまな支えを受けながら、生活をなんとか回してきた感覚です。いろんな人たちの手を借りながら子育てをしてきたなかの一つがフローレンスでした。

20年で変わった社会と家族
レスキューを続けたこの20年。子育て世帯を取り巻く環境は大きく変化しています。
病児保育を始めたころ、東京の子育て世帯の共働き率は3割程度でしたが、近年では7割に迫る勢い。こういった親子の変化も一因に、病児保育が社会的に受け入れられるようになってきました。
──この20年で共働き世帯が非常に増えています。病児保育にも影響はありますか?
病児保育を始めたころは医療関係者など、どうしても休めないような仕事をされている方の利用が多かったんです。それが、時代が移っていくなかで、利用される方の職種や働き方が広がってきたなと感じています。
病児保育そのものの認知が少しずつ広まってきた点も、変化の一つの理由でしょう。最初のころは、すごく切迫した状況で入ってこられていたかなと思います。その後、フローレンスも会員さんの数をどんどん増やしていきましたし、病児保育の存在を一生懸命アピールしてきたので、知って・使っていただける機会が増えていきました。
利用者が広がるなかでも変わらないのは、やっぱり“ピンチに駆けつける”ということですね。困っている親子を支援したいという想いは「寄付によるひとり親支援プラン」(寄付を原資としてひとり親家庭に低料金で病児保育を提供する仕組み)にも表れているように思います。
──ひとり親支援プランには多くのご支援をいただいてきました。
両親がいる場合でも、こどもが病気になると本当にピンチになるんです。お互いの仕事をどう調整するか、病院には誰がいつ連れて行くか、看病はどうするかなど、一気に日常の生活のリズムが維持できなくなります。これがひとり親のご家庭の場合は、本当に行き詰まってしまうんです。
ご家族のサポートがなければ、ご本人が休むしか選択肢がなくなってしまって、さらに休み続けていたら、仕事を続けられない事態につながりかねません。だからこそ、病児保育を一番必要としているであろうひとり親家庭に、できるだけ安価に提供したいと取り組んできたのが「寄付によるひとり親支援プラン」でした。
実際に始めてみると、想定よりも多く寄付をいただきました。寄付していただく方にも、ひとり親が大変な思いをされているということや、病気の時に本当に困ってしまうという課題に対して、すごく共感していただけた手応えがありました。

フローレンスは何のために?コロナ禍で問われた存在意義
サービス開始から、順調に訪問件数を重ねていたフローレンスの病児保育。2019年には年間14,000件に迫るレスキューがありました。
しかし、未曾有のコロナ禍が社会を覆い、病児保育も存亡の危機を迎えます。そんななかでも、フローレンスらしい“想い”と“決断”で前に進んできました。
──コロナ前まで訪問件数も増えていって、社会の認知が広がってきたという実感はありましたか。
2016年から2018年ごろまでの時期は、フローレンスの病児保育のニーズが本当に高まっていた時期でした。入会を制限したり、抽選にしたりという状況で、必要性が増しているのに十分な量を提供できず、もっと頑張らなきゃという思いも強まりました。
病児保育の性質上、困った時に確実に訪問できることを大事にしているので、会員数をむやみに増やせば、必要な時に支援できないということになってしまいます。ですから、自分たちの規模でどの程度の会員さんを受け入れられるかという計算をずっとしながら、バランスを見て受け入れをしていたんです。ニーズに応えきれないもどかしさを感じながらも、どうにか広げていこうとしていたのが、コロナ直前までの時期でした。
──多くの仲間を迎えた時期でもありましたね。
元々は主に子育て経験のある方を「レスキュー隊員(病児保育スタッフの社内呼称)」として採用していましたが、急激に拡大していく時期には、保育士の経験がある方にも担い手の幅を広げていきました。さまざまなバックグラウンドの隊員さんが増えてくるというのが、事業としても伸びてきていた時期だったかなと思います。
──コロナ禍が始まって、病児保育の現場はどのような状況でしたか?
それまで1日あたり50件以上あったレスキューの依頼が、ゼロに近い状態になりました。
それまであたりまえにあったニーズが、一瞬で消えてしまったように感じて、「病児保育自体が、世の中に必要とされなくなるんじゃないか」と悲観するような状態でした。今にしてみれば病児保育の必要性がなくならないことは理解できるのですが、当時はこの先も必要とされるんだろうかって不安も感じました。当時いたスタッフは同じような気持ちを抱いたんじゃないかなと思います。
一方で、コロナが蔓延しているなかで必要とされている場面があったとして、訪問する隊員さんにもリスクがありますし、そこに行くべきか、行けるのかという点についてはすごく議論していました。
本当に求められている場面があるとしたら、わたしたちはそこへ行くべきなのか。それとも、安全を優先して踏みとどまるべきなのか。その問いに向き合い続けた結果、行き着いたのは「ピンチに駆け付けることこそが、わたしたちの役割なんじゃないか」という原点です。そうした使命感のもと、コロナ禍で奔走する医療従事者の皆さんに向けた緊急支援として、保育の提供を決定しました。

──大変な状況でも訪問を続けるという決断ができたのはなぜでしょうか。
「フローレンスは何のためにあるのか」というところを軸に話をしていたんだろうなと思います。本当に困っている人がいたときに、そこに駆けつけることが自分たちの使命だという話をしていました。当時の社会情勢で、自分たちができることがあるならば、それをやるべきではないかと考えたんです。
まだ社会と距離をとって安全を担保していた時期に、誰かの家に行って保育をするとか、サポートをすることを選択してきた。そういう人たちが集っている組織だったというのはフローレンスらしさだなと思いますし、社会と向き合ってきたことを示しているんじゃないかなと思っています。

令和の子育て現場で見えてきた父親の変化
「最近、お父さんの引き継ぎ多いよね」。レスキュー隊員たちが感じる家庭の変化。
実際に男性の育休取得率は7.5%程度(2019年)から急拡大し、2024年には40%を超えました。父親もあたりまえに育児を担うようになり、レスキューの現場にも確実に影響を生んでいます。
──令和に入り男性育休が急速に普及し、父親が育児を担う姿があたりまえになりつつあります。病児保育への影響はありますか?
コロナ禍を経て、会員さん一人あたりの利用量はむしろ増えているんです。ですので、父親の育児時間が確保されるようになっても、利用量が減るということにはならなそうです。一方で、変わってきているなと思うのは、お父さんが朝夕の引き継ぎを担当するケースが増えているという点です。
以前は、お父さんが引き継ぎに出てこられること自体がまだ珍しく、こどもの状況についてお母さんが主に把握されているケースも多かった印象があります。それが今では、自然に育児を担っているので、こどもの状況をきちんと理解しているお父さんが増えてきているなという変化は感じています。
──父親が育児を分担するようになっても、病児保育の需要が減らないのはなぜでしょうか?
病児保育を利用されている方は、元々共働きのご家庭が多いんです。父親が育児を担う割合が増えてきたとしても、負担の偏りがちょっと調整されたくらいのことなのだと思います。母親だけに負担がかかっていた時代から、父親が分担することで家庭内のバランスは取れてきても、家庭全体での大変さは変わりません。
やはり、一つの家庭の中だけで子育てを完結しようとすることには限界があるのだと思います。
子育て世代の考え方も変わってきているように思います。家族だけで負担を乗り越えようとするのではなく、必要な時に必要な手助けを受けながら、無理のないかたちで子育てをしていく。そうした選択が、少しずつあたりまえになってきているのではないでしょうか。こうした変化の中で、病児保育もまた、「特別なときに使うもの」ではなく、「日常を支える選択肢の一つ」として受け止められるようになってきているのかなと感じています。

病児保育の終わらない挑戦
病気のこどもと家族に寄り添い続けた20年。少しずつではあっても、病児保育は社会に欠かせない存在になってきました。
これからも、フローレンスは病児保育を届け続けます。
──フローレンスの病児保育のこれからの課題は?
こどもが病気になるのはこれからも変わりません。そして、子育て初期にそういった状況に直面すると本当に困るという社会構造も、まだまだ変わっていないと感じています。必要としているのに利用できない方が、依然としてたくさんいらっしゃるという実感があります。
そして、サービスを広げていく以外にも、わたしたちならではの取り組みとして考えていることもあります。フローレンスでは、障害や医療的ケアのあるお子さんの保育にも10年ほど取り組んできました。ただ、そのこどもたちが病気で困っている時の病児保育は提供できていませんでした。
最近、トライアルとして医療的ケアのあるお子さんへの病児保育に取り組み始めています。通常の病児保育のお預かりとは少し違う形ではありますが、役立てるという実感が出てきたり、自分たちがこれまで培ってきた経験が活かせるという声もあります。こういった難しい保育にも挑戦し続けたいですね。
「ピンチの時に駆けつける」のがフローレンスの病児保育のDNA・アイデンティティです。今後も取り組んだ課題に対して、どうすれば再現可能な形になるかを社会に提示していくことが重要です。病児保育を広く・深く提供できるようにチャレンジを重ねていきます。
──最後に、20年間を支えてくれたスタッフへ言葉をかけるとしたら、どのようなことを伝えたいですか。
20年という月日はお子さんが成人されるほどの時間です。ありがたいことに、「こどものころに、レスキュー隊員さんに保育をしてもらったことがある」と、当時のことを覚えていてくださる方に出会うことがあります。
わたしたちの保育は一期一会で、二度と会わないかもしれない。でも、お子さんが病気で辛い時に、こういう人が来てくれて、こういうことがあったと覚えていてくれることもあります。辛い時に寄り添う存在が、親以外にもいる。社会の中で育っていっているんだよということが、お子さんに伝わっていたら嬉しいです。
訪問件数は15万件を超えました。初めての家に行って、「初めまして」と挨拶して、初めてのお子さんと1日過ごす。そして、お子さんを帰宅された親御さんにしっかりと引き継いで業務を終える。こんな大変なことを20年間続けてこられたというのは、レスキュー隊員さんたちの「誰か困っている人のために自分が何とか役に立ちたい」「誰かのためになりたい」という強い思いがあってこそです。
こういった思いに共鳴し、フローレンスの病児保育を一緒に作り上げてくれた人がたくさんいたからこそ、ここまで事業を続けてこれたと思っています。本当に奇跡のようなことだなと感じていますし、携わってくれた皆さんに本当に心から感謝しています。
フローレンスの病児保育20周年特設ページでは、これまでともに歩んできた皆さんとのエピソードや、20年の歩みを紹介しています。合わせてぜひご覧ください。
