「多分どこに行っても大丈夫だと思います」
そう軽やかに話すのは、サントリーホールディングス株式会社の中島さんです。2024年4月にフローレンスへ出向し、2年間、こどもの体験格差に取り組む新規事業「こども冒険バンク」に携わりました。
中島さんは、もともとシステムエンジニア。サントリーで20年以上、システム一筋でキャリアを重ねてきた人です。そして、50代半ばを前に、新規事業立ち上げのいち担当者として畑違いのNPOへ。
とはいえ、出向が決まったときは、色々なことを不安に思っていたと言います。
「人生が大きく変わりました。もう一度あの時に戻っても、同じ選択をすると思います」
未知の世界に50代で飛び込んだ2年間。
中島さんに何が起きたのでしょうか。その奮闘を振り返りました。
50代、「この先のキャリアに想像がついていた」
「この先、定年までシステムエンジニアをやっている自分の人生が、想像がつく範囲でしかありえないなと思ったんです。別にそれが悪いわけじゃない。でも、上振れもなく、下振れもない人生だなと」
安定していて安心もある。ただ、心のどこかに「この先も同じでいいのかな」という感覚があった、と中島さんは言います。
実は、ずっと心に引っかかっていたことも。
自分のこどもが生まれてから、よその子も同じように可愛く思えるようになっていたのです。一方で、当時は「こどもの貧困、9人に1人」という言葉をよく聞くようになっていました。

「僕が働けているから、家族は衣食住に特別困ってはいません。でも、そうじゃない子が世の中にたくさんいる――それが、感情的にちょっと受け入れられなかったんです」
とはいえ、仕事を辞めてその道に飛び込むのは、現実的な選択肢ではありませんでした。「もやっとしつつ、何もしていなかった」と中島さんは言います。寄付したり、署名に参加したりしながら、気持ちをつないできました。
そんなとき、サントリー社内で「NPO出向公募」の案内が出ました。行き先のひとつに、寄付をしていたフローレンスがあったのです。
「これやらなかったら、たぶん、一生後悔するな、と思って」
出向前、「自分の職務範囲はここ」と線を引く
選考は、エントリーシートも面接もある「本当に転職みたいな」プロセスでした。縁あって第1希望に書いたフローレンスへ。
ただ、出向が決まってからの中島さんには色んな不安があったと言います。

「めちゃくちゃ不安でした。20年間システムエンジニアをやってきて、それ以外に何ができるか分からない。サントリーで覚えた仕事だから、外で自分のスキルが通用するかも分からない。『なんだこいつ、役に立たないじゃん』と思われたらどうしよう、って」
しかも、フローレンスで取り組む業務内容は新規事業の立ち上げ。募集要項には、システム立ち上げ、事業推進、法人営業など、さまざまなミッションが書いてありました。
「求められていることがものすごく広かったんです。最初は“自分の職務範囲はこれです”って、きっちり線を引くぞと身構えてました」
「身構える暇もなかった」怒涛の出向1週間
でも、そんな中島さんの頑なな思いをよそに、怒涛のフローレンスでの日々が始まります。
「毎日びっくりの連続でした。例えるなら、嵐が吹き荒れてた感じです」と中島さんは振り返ります。
出向した翌日の4月2日、まだ緊張感の漂う中、代表理事との初めてのミーティング。
「『こども冒険バンクのシステムの要件定義を始めるから』って言われて。まだオンボーディングも始まってないし、こども冒険バンクとはなんぞやという説明もそれほどない中だったんです。すごいスピード感だなと呆気にとられました」
出向6日目には、こども冒険バンク事業の詳細を決めるためのユーザーインタビューがスタートします。まずはインタビューする同僚の横で議事録を担当。こんな風にやるんだなと思ったのも束の間、「次からメイン担当をお願いしたい」と依頼があったと言います。

「出向2週目で『フローレンスの中島です』って、いきなりエンドユーザーと話すんです。サントリーのシステム開発は社内向けだったから、エンドユーザーと話す機会なんて、20年で一度もなかったのに……」
それって最初は相当キツかったんじゃないですか?——そう尋ねると、中島さんはこともなげに言いました。
「実はね、もうその頃には慣れ始めてました」
心の防衛線が消えた。フローレンスの空気感
同僚の一人は「中島さんの馴染み方、ほんと早かったのよね~」と振り返ります。
なぜ、そんなに早く新しい環境に慣れることができたのか。
中島さんは、サントリーの前に少し働いていたスタートアップでの経験が活きたと言いますが、「それだけではありませんでした」と、フローレンス側の空気感を挙げます。

「みんながオープンマインドで受け入れてくれたのが、大きかった。『サントリーから来た人』というところを、とても大事にしてくれて。あ、そのままでいいんだ、って思えました」
ある日、システムの話をしていて、「こういうのが必要だと思うんです」と提案すると、返ってきた言葉が忘れられないと中島さんは言います。
「『それ!それ! サントリーから来た人には、そういうのを求めてるのよ~!』って、フローレンス歴10年以上のベテランの女性スタッフが言ってくれて。サントリーであたりまえにやってきたことが、実はあたりまえじゃなかったんだ、役に立つんだ、と気づかせてもらいました」
「自分のスキルは自分一人で身につけたと思い込んでいました。でも、サントリーであたりまえだったことが役に立つのを目の当たりにして、ああ僕が培ったものはゼロイチで作ったものではなく、サントリーの先輩や上司から受け継いできたもので、それが外で役に立たないわけがないじゃないかって。出向したから気づけたんです」
線を引いて守ろうとしていた人が、線の外に出ても大丈夫だと、少しずつ確かめていったのです。
出向で培われた「なんとかなる」精神
「中島さんが仕事を断るところ、あまり見たことないですね」
中島さんの印象について一緒に仕事をしたスタッフに尋ねたときに、返ってきた言葉です。
フローレンスという全く違う環境でもまれる中で、中島さんはある「感覚」を掴んでいったと言います。それは、「なんとかなる」というしなやかな心構えでした。
「もちろん相手のやり方に合わせないといけない部分はありますが、物事の『幹』の部分はどこへ行っても変わらない。そこさえしっかり押さえていれば、なんとかなると思えるようになったんです」
例えば、着任早々に取り組んだ3ヶ月半という短期間でのシステムリリース。サントリーでの経験とは違うことだらけでした。開発期間は通常の半分ほど。しかもビジネスモデルが定まっていなくふわっとした状態からのスタートでした。

「普通はビジネスモデルが決まってからシステムの構築が始まります。最初は驚きましたが、ビジネスが変化するスピードもどんどん早くなっていく中で、サントリーでも構築の途中に新しい要求が出てきて、行ったり来たりすることはよくあったんです。そう考えると、フローレンスの現場が全然違うわけではなく、『最初からそうなだけだ』と思いました」
また、新規事業の現場には、「誰の担当でもないけれど、放っておけない仕事」がゴロゴロと転がっていました。
「出向する前は、未経験の仕事に首を突っ込むのは『その道のプロに対して失礼なんじゃないか』と思っていました」
「でも、現場でみんなが必死にもみくちゃになっているなかで、目の前にポツンと手つかずの仕事が残っている。そんな時、『仕事としての経験はないけれど、何かしらで触れたことがあれば、なんとかなる』という感覚を持つようになりました。プロから見れば完璧な出来ではないかもしれません。でも、事業にとっては、まずは形になって前に進むことが何よりの貢献になるんです。新規事業で『小さな成功体験』を積み重ねるうちに、次はこれをやってみようかな、と思える面白いサイクルに入っていきました」
初めてだけど、“初めて”じゃない。
毎日吹き荒れた嵐の中で得た新たな気づきは、未知の状況への見方を変え、変化を楽しめる勇気に変わっていきました。
次は、新しい道に進んでみたい
2026年の春、2年間の出向を終え、サントリーに戻った中島さんは、元々いたシステム部門ではなく、第一希望だったCSRの部署に異動して仕事をしています。

「『1年後の出向終了に向けて、自分のキャリアについて考えてほしい』と2年間の折り返し地点のタイミングで上司に言われて。僕はその時、フローレンスで取り組んできたことを出向期間だけで終わりにはしたくないと思いました。“体験格差”がどうなっていくのか、“こども冒険バンク”がどうなっていくのか、見届けたかったんです」
とはいえ、大きな決断です。なぜそう思ったのか?――気になって理由を尋ねると、少し考えてから、シンプルな答えが返ってきました。
「一番大きいのは……楽しかったから、かな。楽しかったんですよ、この2年間」
「出向者それぞれ、いつから楽しかったかは感覚が異なると思うんですが、僕は『これがNPOの世界か』って、最初の1週間目から楽しかった。新規事業の立ち上げは、自分が『こうする』と決めたものが、目の前で形になっていく手応えがあります。それにソーシャルセクターへの関心もどんどん高くなってきました。自然と気持ちがそちらに持っていかれたんです」
「多分どこに行っても大丈夫だと思います」
企業とNPO、その二つの世界を行き来した中島さん。
戻ってみて「フローレンスの人間になっていたことに気づいた」と笑います。
「戻ると、あれは合理的だったな、サントリーでもやったらいいじゃん、と見えてくるものがたくさんあります。まずは、お互いをよく知って風通しをよくするために『もっとメンバーで雑談しましょう』と部長に進言しました」

思わず、中島さん、人生ガラッと変わりましたね、そう声をかけると、
「本当ですね。これまではやることが明確で、それに向かって手を動かして前に進んできました。でも、これからはふわっとした命題に自分で問いを立てないといけない。NPOの皆さんと一緒にどうやって実現するかを考えて形にする。考えることのレイヤーが変わった感じですね」
そう語る表情に、「自分の職務範囲はここまで」と身構えていた2年前の姿は、もうどこにもありません。
「多分どこに行っても大丈夫だと思います」
冒頭の、あの軽やかな一言が自然にこぼれてくる。その変化こそが、この2年間のすべてだったのかもしれません。

