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子無しのわたしが考える「独身税」——分断を生むのは、物語の欠如だ

子無しのわたしが考える「独身税」——分断を生むのは、物語の欠如だ

#フローレンズボイス

わたしにはこどもがいません。
それでも、子育て支援のNPO法人で働き、日々こどもたちの未来に向き合っています。

選挙が近づき各党のマニフェストをめくると、そこに並ぶのは「子育て世帯」という言葉ばかりです。負担軽減、保育の拡充、児童手当の拡大——。それらはどれも重要で、尊い政策です。けれど、独身者やこどもを持たない選択をした人の姿は、そこにはほとんど映っていないように感じます。

政治のレンズに映らない「わたし」の違和感

否定されたわけでも、攻撃されたわけでもない。 それでも、子育ての話題になるとき、そこに「透明な境界線」が引かれる瞬間を感じます。政治のレンズに自分が写っていないような、「蚊帳の外感」と言ってもいいかもしれません。

だからといって誰かを責めたいわけではありません。
友人との会話の中で思わず口にした「搾取されている気がする」という言葉。それを単なる感情で終わらせず、一つの問いとして置いておきたい。

その問いを、「制度がどう作られ、どう語られているか」という視点から、わたしなりに紐解いてみたいと思います。

このテーマをめぐる議論の背景や、言葉にできない「違和感」の正体については、音声メディア「フローレンズラジオ」でも詳しく掘り下げています。記事では書ききれなかった「対話の熱量」もあわせて受け取っていただけたら嬉しいです。

「独身税」という言葉が映し出す分断

そのもやもやは、いま「独身税」という刺々しい言葉となって、SNSを中心に波紋を広げています。

もちろん、そんな名称の税金は存在しません。正体は、2026年4月から徴収が始まる「こども・子育て支援金制度」です。負担額は平均で月額250円程度から段階的に引き上げられる見通しです(こども家庭庁資料)。

本来、こどもは社会の宝であり、その育ちを社会全体で支えることに異を唱える人は少ないはずです。それなのに、なぜこの制度は分断の象徴のようになってしまったのでしょうか。

こども家庭庁資料:子ども・子育て支援金に関する試算(医療保険加入者一人当たり平均月額)より

8割が「当事者ではない」ように見えてしまう設計

そこには、負担は「全員」が負う一方で、使途が「子育て世帯」に限定されているという、あまりに直線的な設計があります。
その結果、多くの人にとって「自分は支える側でしかない」という構図が強調されてしまいます。

最新の調査(2024(令和6)年 国民生活基礎調査の概況)によれば、児童がいる世帯は全体のわずか16.6%。つまり世帯ベースで見れば、多くの人にとってこの制度は「自分ごととして実感しにくい構造」になっています。

子育ては本来、道路や水道と同じ社会インフラのはずです。だとしたら、親であるか否かにかかわらず、わたしたちは皆、この社会をともに動かす当事者であるはず。それなのに、制度の語り方が「親だけの物語」に閉じている。ここに、設計のねじれが生じているように感じます。

厚生労働省資料:2024(令和6)年 国民生活基礎調査の概況より
厚生労働省資料:2024(令和6)年 国民生活基礎調査の概況より

政策ではなく「物語の不在」が分断を生む

これまでの公的議論の多くは、「当事者=子育て世帯」という枠組みに重きが置かれてきました。

政府の掲げる「全世代型社会保障」。
しかし実際の発信は、「いかに子育て世帯を支援するか」に集中しています。それを支える側の人々がどう報われるかという物語は、十分に語られてこなかったのではないでしょうか。

ともに社会を作っていくための物語が、今はまだ、あまりにも一方通行。その事実に、どこか寂しさを覚えます。
SNSで「独身税」という言葉が広がったのは、単なる誤解ではありません。「自分たちがこの設計図の中に居場所を与えられていない」という、疎外感や痛みの表れだったように思うのです。

語り方を少しだけ変える「設計のチューニング」

では、わたしたちはどう向き合えばいいのか。

わたしは、社会のOSそのものを入れ替えるような大それた変革ではなく、「語り方」を少しだけチューニングすることに、その鍵があると考えています。

具体的には、「拠出する側」を単なる集金対象としてではなく、この社会をともに維持する「不可欠な当事者」として描き直してほしいのです。

もちろん、「将来の自分たちを支える担い手を育てるため」という理屈は、これまで何度も語られてきました。けれど、そんな遠い未来の損得勘定だけで、今の痛みを飲み込めるほど人間は合理的ではありません。

必要なのは、単なる「未来への投資」という言葉で片付けないことです。わたしたちが拠出する支援金が、例えば独身世帯も利用できる公共サービスの維持にどうつながるのか。あるいは、子なし層が負っている社会的な貢献が、ライフステージに縛られない公平な権利としてどう還元されるのか。

「あなたは、この社会を支える大切なピースだ」という公的な承認と、誠実なフィードバック。拠出が「消えるコスト」ではなく、自分たちの未来にもつながる「持続可能性への投資」であることを、数字と血の通った言葉で報告し続けること。そんな「いま、この社会をともに維持している」という手応えを、数字の裏側にある「温もり」として感じていたいのだと思います。

子なし層を単なる「支え手」という名の背景にせず、次世代をともに育む「仲間」として物語の中に居場所を作ること。誰もが設計図の中に欠かせないピースなのだと、心から信じられるような語り口であってほしい。そんなふうに願っています。

境界線を越えた先にある、すこやかな未来

2026年4月から始まる新しい制度。それが「持たざる者への罰金」として記憶されるのか、あるいは「社会をともに支える仕組み」として根付くのか。その分岐点は、数字ではなく、わたしたちの間に流れる「物語」の質にかかっています。

こどもを持つ人も、持たない人も、この社会の当事者です。どちらかが「支える側」で、どちらかが「支えられる側」という単純な構図では、本当の意味で社会を維持することはできません。

「子無しのわたし」も、この社会を形づくる一人です。 働き、税金や社会保険料を納め、誰かの仕事を支え、未来の世代が生きていく社会の基盤を、確かに一緒に担っています。

政治や制度がその現実を正しく言葉にできたとき。
お互いの貢献を尊重し合える関係が生まれたとき。
わたしたちは「境界線」を越えて手を取り合えるのだと思います。

こどもを育てる人だけの物語でもなく、こどもを持たない人の孤独な負担でもない。
この社会をどう次の世代へ渡していくのかという、わたしたち全員の物語として語り直すこと。
その地道な積み重ねの先にこそ、本当の意味ですこやかな社会の姿が見えてくる。わたしは、そう信じていたいのです。

ここで綴ったことは、ひとつの整理にすぎません。
言葉にしきれなかった迷いやニュアンスも含め、もう少し丁寧にお話ししています。
正解のない問いを、一緒に考えてみませんか?

書いた人 清野 友花

書いた人 清野 友花

認定NPO法人フローレンス広報。メーカー系商社で人事を経験後、2019年入職。
こども・子育てに関する社会課題の発信を担当。こどもを持たない当事者としての視点を大切にしている。図鑑を読むのが好き。


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