10月に入ると、近所に一軒、にぎやかになる家があります。
玄関先に、かぼちゃやおばけの飾りが少しずつ増えていく。その家には、ご夫婦が住んでいます。ハロウィンの日に、近所のこどもたちへお菓子を配ってくれるんです。
当日は、家の前にこどもたちの列ができます。親たちの姿はあまり見当たりません。こどもだけで並んでいます。
楽しそうだなと眺めていて、ふと思いました。親がこどもに「行っておいで」と言えるのって、すごいことなんじゃないか。
知らない大人からお菓子をもらってはいけません、と教わる時代です。それでも、あの家には送り出せる。親たちが、あのご夫婦を信頼しているからですよね。
信頼には、時間がかかる
毎年の飾りつけを見て、道であいさつを交わして、ときどき立ち話をして。「あそこのお宅なら大丈夫」と思えるようになるまでには、きっと長い時間がかかっています。あの列ができるのは、そうした積み重ねがあるからです。
人と人との間にある信頼や、「お互いさま」の感覚は、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)と呼ばれています。
最近読んだ論文に、気になることが書いてありました。5歳以下のこどもを育てる親1,450人を調べたところ、ソーシャル・キャピタルが豊かな人ほど、子育ての幸福感が高かった。この関係は、子育て支援のサービスを使っている人にも、使っていない人にも、同じように見られたそうです。論文は、子育て世帯が地域とつながれるしくみや、つながりを後押しする子育て支援が必要だと結んでいます。
わたしは、支援を届ける団体で働いています。サービスを使ってもらえたら、ひと安心。ついそう考えてしまいます。この論文を読んで、見るものがもう一つあると感じました。
サービスを使ってもらったあとに、人とのつながりが生まれているかどうか。そこまで見ていく必要がありそうです。
あのお母さんの話の、つづき
前回の記事で、地域のファミリー・サポート・センター(ファミサポ)を利用して、月に1回、こどもを見てもらう日を自分で決めていた、ひとり親のお母さんの話を書きました。あの話には、続きがあります。
来てくれるのは、いつも同じ人でした。月に1回、何年も。その方の家に行ったり、公園に連れて行ってもらったり。こどもたちはすっかり懐いて、娘さんは自分から「〇〇さんに会いたい」と言うようになったと聞きました。学校でばったり会った日には、会えたことを喜んで報告してくる。
お母さんは、こどもと離れて一息つけることも助かった、と話していました。でも一番は、離れている間に「あの子たちは楽しく過ごしてるんだ」と思えることだったそうです。
利用できる年齢を過ぎたいまも、地域の行事で毎年、その方と顔を合わせているといいます。制度を使えるのは決まった年齢までですが、そこで生まれたつながりは、そのあとも続いているんです。
信頼は、発注できない
「来月から信頼関係を1件お願いします」とは、頼めません。ハロウィンの列も、ファミサポで生まれたあの関係も、誰かが注文してできたものではないでしょう。
ただ、同じ人と何度も顔を合わせる機会があれば、関係は少しずつ育っていきます。信頼そのものはつくれなくても、年に一度の行事や地域の支援制度のように、そのための場や機会なら用意できるのだと思います。
近所の大人として
前回書いた「頼りしろ」(困ったときに、誰かや何かを頼れる余地のこと)でいえば、ハロウィンの列は、その小さな見本みたいです。近所の大人に「お菓子ください」と言って、ちゃんと受け止めてもらえる。年に1回でもそんな日があるまちなら、いざというときの「助けて」も、少し言いやすくなる気がします。
わたしには、こどもはいません。あの列に送り出す子はいないけれど、顔を知っている近所の人くらいには、なれるかもしれません。
とはいえ、何か特別なことをするわけではありません。同じ人と、何度も顔を合わせること。道で会ったら、あいさつをすること。まずは、そういうところから。
今年の10月31日も、あの家の前にはこどもたちの列ができるはずです。
わたしも今年は、玄関にかぼちゃを一つ、置いてみようかな。
書いた人 清野 友花(せいの ゆか)

認定NPO法人フローレンス広報。メーカー系商社で人事を経験後、2019年入職。
フローレンズラジオのパーソナリティを担当。こどもを持たない当事者としての視点を大切にしている。図鑑を読むのが好き。
出典
中村登志子・椎葉美千代(2026)「乳幼児を育てる親の育児幸福感とソーシャル・キャピタルの因果構造」日本助産学会誌 40巻1号


