小学校3年生の時に、わたしはベトナムから日本に来ました。
ひらがなやカタカナなどを少しずつ覚え始め、新しい生活が始まる頃、お世話になっていたNPOを通じて、お下がりのランドセルを譲り受けました。
色は赤。選べるものではなく、最初から決まっていました。
少し使われていた形跡がありますが、ぱっと見はピカピカのランドセル。初めて目にするランドセルに、胸が高鳴ったことを覚えています。
誰が贈ってくれたのか、誰が使っていたものなのかも、当時はあまり気に留めていませんでした。ただ「これが日本の小学生のかばんなんだ」と思うと、それだけでうれしかったのです。
あれから30年。来年、長男が小学校に入学します。黄色が好きな長男は、当然のように「黄色のランドセルが良い!」とリクエストし、祖父母が買ってくれました。新品で、色も自由に選べる。わたしのときとは、何もかもが違います。
それでも、共通している部分があります。
ランドセルを用意してくれる大人が、親の他にもいるということです。
長男にとっては祖父母。あの頃のわたしにとっては、顔も知らない誰かでした。
そして長男はきっと、そうした大人たちのことまでは考えていないと思います。ただ、黄色いランドセルがうれしい。かつてのわたしがそうだったように。
届ける側になって
この秋、フローレンスは、翌年入学を迎えるひとり親家庭など50家庭に、企業と連携しランドセルをプレゼントしました。

ランドセルには、親御さん向けとお子さん向け、それぞれへのメッセージを添えた手紙も同封しました。親御さんには、きっと読んでいただけると思います。けれど、こどもたちには、誰がどんな思いで届けたのかまでは、まだ伝わらないかもしれません。
それでいいのだと思います。かつてのわたしも、そうでしたから。
こどもたちが、ランドセルを背負って元気に学校へ行く。贈ってくれた人のことは意識していなくてもいい。
ただ、いつか何かの折に、自分のことを気にかけてくれる人が家族のほかにもいるのだと、ふと思い出してくれたら良い。
そんな願いを込めて、わたしたちはランドセルを届けました。
気づかないまま、受け取っていたもの
あの頃のわたしは、気づかないうちに、確かに誰かに見守られていました。
NPOの事務所で、スタッフの女性が「はい、どうぞ」とランドセルを差し出してくれました。わたしはそれを受け取り、ゆっくりとその場で背負ってみました。はるか遠い記憶が、うっすらと蘇っていきます。
届ける側になって、わたしは初めて、あの大人たちのことを思い返すようになりました。
あの頃、ランドセルの向こうにいた誰かのように。今はわたしが、顔も知らないこどもたちの「向こう側」にいます。
もしかしたら誰にでも、知らないところで気にかけてくれていた大人がいたのかもしれません。
書いた人 レー クイ

認定NPO法人フローレンス寄付担当。
飲料メーカーで商品開発を経験後、2022年入職。
ベトナム生まれ、日本育ち(8歳で来日)。
一男一女の育児に奮闘する毎日を送る。
ビールと餃子を愛し、毎晩のストレッチで一日の疲れをリセットするのが日課。


