フローレンズラジオは、社会課題をさまざまなレンズから見つめる音声コンテンツです。
前編では、「障害児保育園ヘレン」が生まれるまでをお届けしました。
医療的ケアや重い障害があることで保育園に申し込むことすらできないこどもたちがいた2014年。世田谷区から届いた1通の相談をきっかけに、たった半年で保育園が立ち上がり、9月17日に開園を迎えます。
けれど、立ち上げメンバーの森下さんとレンさんは、開園の場面をこう振り返っていました。

森下
今までのはプロローグ。

レン
ここからがスタートだったんです!
開園は、ゴールではありませんでした。園という器はできても、そこでどんな毎日をつくるかは、まだ何も決まっていなかったのです。後編は、開園という「スタート」から先のお話です。
森下 倫朗

広告会社勤務を経て2011年2月にフローレンスに入社。「障害児保育園ヘレン」立ち上げ・マネージャーなど、障害児保育事業に長く携わる。現在は広報チームに所属し、映像制作や配信を担当。全社会議では「司会太郎」を名乗り社員を盛り上げる。過去にお笑い芸人を目指していたときもあった。
石川 レン

大学時代に非営利組織論を研究し、新卒でNPOへ。2014年フローレンスに入職し、森下とともに「障害児保育園ヘレン」の開設に奔走。現在はフローレンズラジオの編集や動画制作を担当。沖縄在住。
清野 友花

今回の聞き手。認定NPO法人フローレンス広報。メーカー系商社で人事を経験後、2019年入職。フローレンズラジオのパーソナリティを担当。こどもを持たない当事者としての視点を大切にしている。図鑑を読むのが好き。
公園に行くか、行かないか
障害児保育園ヘレン(以下ヘレン)は、一般的な保育園とは職員の構成が違います。
保育士だけでなく、看護師、理学療法士、作業療法士、そして特別支援学校の教員経験者や児童指導員が同じ保育室で働きます。医療的ケアや重い障害のあるこどもたちを毎日長時間お預かりするには、それだけの職種が必要でした。
この新しい保育園に集まってきたのは、それぞれの現場で経験を積んだ人たち。

レン
ヘレンみたいな保育園って全国にまだなかったから、「わたしもやってみたかった」みたいな人たちが来てくれたんです。パイオニア的な人たちです。いろんな経験があるエース級の人たちが来てくれて、本当にありがたかった——でも、サッカーで言うと、全員がセンターフォワードというか。「あれ、キーパー誰やるんだっけ?」みたいな感じはありました。
採用の時点では、開園場所すら決まっていませんでした。「杉並区のどこか」という段階で応募してくれた人たちです。それだけの熱量を持った人が集まったからこそ、起きたこともあります。

レン
それぞれの環境でそれぞれのベストを尽くしてきたプロたちが、保育園という場に集まるとどうなるか。僕らもちょっとだけ楽観視していて、「こどもたちが来たらワンチームでできるんじゃないか」と思っていたけど、やっぱり支援観が全然違うわけです。
マニュアルももちろんないし、「ヘレンらしさ」もまだないから、本当に手探りになる。

清野
想像しただけで大変そう……。でも、目指すゴールはきっと一緒なんですよね。こどもの成長を願う人たちの集団だからこそ、それぞれが大切にしているものがぶつかり合う。
例えば、こんな日があります。
ようやく涼しくなった秋の午後。今日はちょっと遠くの公園に行こう、と保育スタッフの視点では考えます。外の空気に触れて、風の音を聞いて、この子が何かに反応するかもしれない。少し鼻水が出ていて、たんの吸引回数がいつもより多いけれど、送りに来た保護者も「これくらいはいつものことなので、行かせてあげてください」と言ってくれている。
でも同じこどもでも、看護スタッフの視点では見え方が変わります。鼻水も、吸引の回数が増えていることも、その子にとっては体調が動いているサインです。外に出れば、園の中のようには対応できません。
そしてリハビリスタッフから見ると、また別の判断があります。遠い公園まで、その姿勢のまま長い時間バギーに座ることは、この子の身体にとって望ましくない。
どれも、こどものことを一番に考えた上での判断です。
病院であれば、医師の指示という基準があります。ヘレンは保育園なので医師はいません。でも、判断に迷ったときに安全なことだけを選択し続けていると、こどもにとっては何も起きない場所になりかねません。
そういった一つ一つの判断を、40平米ほどの保育室の中で決めていくことになります。

森下
保育室って40平米とか50平米しかない、すごく狭い空間なんですよ。しかもスタッフも半々くらい。看護スタッフが半分、保育スタッフが半分。だから、その日の活動をどうするかとか、支援観や価値観をすり合わせながら仕事をするというのが、すごく難しかった。

おやつの時間に、起きたこと
そんな手探りの日々の中で、忘れられない出来事が起きます。
開園したヘレンには、これまで保育園に受け入れてもらえなかったこどもたちが通ってきます。定員は15人。
そのこどもたちの中に、胃ろうのある子がいました。胃に直接、栄養剤を入れて栄養を摂ります。口から食べる機会は、それまでの生活の中にありませんでした。一方で、鼻から酸素を吸入しながら、口からごはんを食べる子もいます。同じ保育室に、いろいろな食べ方のこどもがいました。
おやつの時間、その2人が隣同士に座ります。
口から食べられる子の前には、お皿にのったクッキー。胃ろうのある子は、栄養剤のボトルを見ながら座っている。

レン
その子は、それを初めて見るわけです。自分と同じくらいの背格好の子が、口から何かを食べていて、めっちゃ笑顔になっている。
こういうことが何回か続くと、胃ろうの子が、初めてお水をペロッてなめてみる、みたいなことが起きるんです。

清野
すごい!お友達からの刺激ですね。

森下
どんなにスタッフや親御さんが「食べてみよう」って言っても「やだやだ」ってなるのに、仲のいい友達が目の前で美味しそうに食べていたら、「僕も食べてみようかな」って。
水をなめてみた。お茶を飲んでみた。柔らかいゼリーを食べてみた。やってみたいことが一つずつ増えて、胃ろうが必要なくなり、ご飯を食べられるようになった子もいます。
こどもはこどもの中で育つ
森下さんはこう振り返ります。

森下
そのときにレンくんが残した言葉がね。「こどもはこどもの中で育つ」。

清野
出ました!名ゼリフ!

レン
いやでも、本当にそうなんですよ!
どこかで聞いたことのあるフレーズかもしれません。2人はそれを、目の前で起きたこととして経験しました。

レン
ずっと家の中にいた子が、こどもたちの中で刺激や影響を受けて成長していく。それをものすごく感じて、めちゃめちゃ嬉しかったし、親御さんも本当に喜んでいた。
大人がいくら言葉で促しても起こらなかったことが、こども同士の楽しさの中で、「面白そう」「やってみよう」という本人から湧き出る思いから始まっていく。だからヘレンは、医療の場でも訓練の場でもなく、「保育園」という名前にこだわりました。
変化は、ヘレンの中だけで終わりません。
開園から半年後の3月、15人のうち5人が、地域の認可保育園に転園していったのです。医療的ケアが必要なくなったり、軽くなったということもありますが、転園先の地域の保育園の側も、変わったのです。

レン
最初は転園先の保育園の先生も「医療的ケア児を預かるのは不安」と思っていたけど、ヘレンの様子を見たら、「あれ、わたしたちの保育園で預かれるんじゃない?」てなって。

清野
へえ……小さな変化が、重なっていきますね。
そしてこの経験は、フローレンスが大切にしている考え方をそのまま裏づけるものでもあります。

レン
僕らがずっと言っているように、個人に障害があるわけじゃないんですよ。社会の側に障害がある。社会モデルという考え方なんですが、だからフローレンスは、あえて漢字で「害」と書いているんです。
障害は、こどもの側にあるのではない。障害は社会の側にあり、それを取り除けば、こどもたちの可能性は広がっていく。ヘレンで起きたのは、その考え方が現実になった出来事でした

事業をつくり、しくみを変える
こうしてヘレンは、園を増やしていきます。けれど、別の壁に気づきます。
自分たちで園をつくり続けても、届く数には限りがある。障害児保育問題を解決するには、あまりにも時間がかかりすぎるのです。
だから、法律や制度そのものを変える必要がある——当時からそう話していた、と2人は振り返ります。

清野
制度で解決しようとすると、法律を変えないといけないってこと?
問題は、はっきりしていました。当時、「医療的ケア児」という言葉が、法律のどこにも書かれていなかったのです。
言葉がなければ、制度の議論も進みません。保育事業の加算にも、障害福祉サービスの報酬にも反映されないため、事業者からすると、医療的ケアのあるこどもを受け入れるほど持ち出しが増えます。受け入れたいという思いのある事業者ほど、苦しくなる構造でした。
さらに、医療的ケア児に関わる省庁は分かれています。厚生労働省、文部科学省、そして自治体を所管する総務省。それぞれが別々に動いていれば、家族はどこへ行っても要領を得ない返答を受け取ることになります。前編で描いた「たらい回し」は、窓口の対応の問題である以上に、制度の構造の問題でもありました。
転機になったのは、ヘレンに視察に訪れた国会議員でした。
議員が資料で見ていた「医療的ケア児」は、統計上の人数だったかもしれません。でも彼がヘレンで見たのは、たんの吸引を受けながらお友達とおやつを楽しんでいる、名前のある一人一人のこどもです。
「これはいかん。わたしも知らなかった」
その議員が議連の設立を主導し、「議員人生の最後にこれをやりきる」と語ったといいます。2015年、超党派の議連「永田町子ども未来会議」が発足しました。

森下
現場を見て、「知らなかった」と言ってくれた。僕らが現場を作ったことで、社会課題が見えるようになった。法律を作る政治家たちに、バトンを渡すことができた。
この動きは、2016年に一つの形になります。児童福祉法の改正で、人工呼吸器を装着しているこどもなど、医療的ケアを必要とするこどもへの支援が、法律に初めて位置づけられたのです。名前のないままだった存在が、「支援すべき対象」として公式に認められました。
そして2021年6月、医療的ケア児支援法が成立します。
国・自治体・学校・保育所などに対して、医療的ケア児への支援が「責務」として明記された法律です。世田谷区から届いた1通の相談から、およそ6年後のことでした。
制度がどのように育ってきたのか、そして2026年の法改正で何が変わるのかは、それぞれ別の記事で詳しくご紹介しています。


見えないものは、変えられない
収録の最後、森下さんはこう話しました。

森下
世田谷区のお母さんの1通から、ここまで来ました。社会課題を見つけて、解決のためのアクションをすることで、新しい法律にまでつながっていった。すごいことに聞こえるけど、誰でも始められるんですよ。
2人は、障害福祉や政策提言の専門家だったわけではありません。相談を受けて、預け先を探して、どこにもないという事実に突き当たって、それならばとヘレンをつくった。専門家ではない2人が、法律が変わるところまで走り切れたのはなぜだったのか。森下さんは、課題が「見えるようになったこと」だと言います。

森下
「見えること」にしないと。誰かが気づいてもそれを放っておいたら、社会って変わらないなと思っていて。
自分たちにしか見えていない課題のままなら、動けるのは2人の手が届く範囲だけです。見える形にすれば、気づく人が増える。そして気づいた人の中には、2人にはできないことができる人がいました。
ヘレンができるまで、医療的ケアの必要なこどもたちの毎日は、家の中にありました。統計には人数として載っていても、日常を見た人は、ほとんどいなかったのです。
通える場所ができて、こどもたちの毎日が外から見えるようになりました。見学に来た地域の保育園の先生も、視察に訪れた国会議員も、そこで初めてこどもたちを見て課題を知り、それぞれの場所で動きはじめました。
今回のレンズ
今回は、
「障害は、社会の側にある」
というレンズを通して、この物語を見つめてみました。
胃ろうのあるこどもが口から食べはじめたきっかけは、訓練ではなく、隣でクッキーをおいしそうに食べている友達がいたことです。
同じことが、ヘレンの外でも起きていました。地域の保育園が転園の受け入れを決めたのは、ヘレンという実例があったから。医療的ケア児のための法律ができたのは、政治家が現場を見たからでした。
隣で誰かがやっているのを見ると、「自分にもできるかもしれない」と思える。こどもたちにも、保育園にも、政治にも、同じことが起きていました。
障害が社会の側にあるなら、変えられるのも社会の側です。
こどもたちも、変わりました。でも、ほんとうに変わったのは、こどもの周りにいる大人たちと、社会の方です。
続きは音声で
今回の記事では、障害児保育園ヘレンが開園してから、医療的ケア児支援法までの道のりをご紹介しました。
音声では、記事に書ききれなかった賑やかな掛け合いも含めて、当時の空気そのままにお届けしています。お友達の姿を見て、胃ろうの子が初めて口から食べた場面の3人の盛り上がりを、ぜひ聞いてみてください。


