フローレンズラジオは、社会課題をさまざまなレンズから見つめる音声コンテンツです。
前回は、「一緒にいればインクルーシブ、とはならない」という話でした。障害児保育園ヘレン(以下ヘレン)は「分離」ではないのか。一緒にすればいいのか。分けて守ることが固定化してしまうとき、何が起きるのか。答えは出ないまま、「どちら側が、合わせるのか」という問いが残りました。
その難しさはどこから来るのでしょう。
収録の後半、話はもう一段深いところへ進みます。そもそも、人と人の間に線を引いているのは誰なのか。聞き手のわたし(清野)にとっては、自分の物差しを問われた回でした。
黒木 健太(くろき けんた)

認定NPO法人フローレンス 副代表理事。2018年にフローレンスに入職後、全国医療的ケア児者支援協議会の事務局として政策提言活動を行い、2021年の「医療的ケア児支援法」成立を後押し。一般社団法人全国医療的ケア児者支援協議会 理事。愛称は「くろけん」。
橋本 吉央(はしもと よしちか)

認定NPO法人フローレンス ディレクター。障害児保育園ヘレン事業部マネージャーを経て、現在は広報・システム部門の責任者を務める。保育士資格保有。
清野 友花(せいの ゆか)

今回の聞き手。認定NPO法人フローレンス広報。メーカー系商社で人事を経験後、2019年入職。フローレンズラジオのパーソナリティを担当。こどもを持たない当事者としての視点を大切にしている。図鑑を読むのが好き。
「ごちゃまぜがいい」と言っていたころ
結局、何がいちばんいいのか。わたしはそれを聞きたくて、単純に答えを求めていました。
ところが黒木さんは、まず自分の話から始めます。

黒木
わたしもとにかくインクルーシブにするのがいいんだ、と思っていたことがあって。いろんな人に「やっぱりこれからはごちゃまぜだよね」と言っていた。みんながいっしょにいるインクルーシブこそが正解だ、と思い込んでいた時期があったんです。
変わったきっかけの一つは、ヘレンの保護者との会話でした。「今のヘレンがすごくいいんです」。ごちゃまぜがいちばんいい、と思っていた黒木さんは、難しいな、と感じたそうです。
身近な例も挙がりました。学校に行かないことを選んでいるこどもが、フリースクールに通っている。その子に「地域の学校へ行かなきゃだめだよ」と言われたら、自分もしんどい、と黒木さんは言います。誰かがよいと考える形が唯一の選択肢になると、本人が自分に合う場所を選ぶ余地は、かえって狭くなります。別の場所にいることを選べるのもいい。黒木さん自身も、そう考えています。

黒木
「ごちゃまぜじゃないとだめだ」とわたしが言い出したら、ちょっとダブルスタンダードすぎるなと思うんですよね。
じゃあ、どんなあり方がよいのでしょうか。一例として、ヘレンのスタッフが話していたイメージを紹介してくれました。障害のあるなしで部屋ごと分けるのではなく、家のワンフロアのような場所。みんなが集まるリビングがあって、疲れたら戻れる個室がある。本人の意思で、行ったり来たりできる。
この活動だけは一緒にやってみよう、この活動は個別にしよう、と設計することもできます。
ただ、と黒木さんは続けます。それができるのは、一つの園の中までです。

黒木
幼少期にインクルーシブな関係が育ったとしても、中学校に進学したらそこには支援級がなくて、そこから先は分断していってしまう。社会とか地域とか、そういうレベルの壁ですね。
線を引いているのは、誰か
園の中では一緒にいられたのに、外に出たとたん分かれてしまう。なぜ、そうなるのでしょう。橋本さんは、半分は個人的な意見だけれど、と前置きしてから話し始めました。

橋本
やっぱり根っこにあるのは、今の社会の経済的な生産性みたいなもので人を測って、線を引くということなのかなと思うんですよね。資本主義のおかげで社会が発展してきたのは事実としてあると思うんですけど、その中で、お金に換算できる価値を生み出せるかどうかで、人を判断している。
でも、線の引かれ方は、社会のあり方で変わります。

橋本
例えば狩猟採集の社会だったら、狩りで獲物が取れないと、コミュニティに貢献できないわけじゃないですか。今日ここで話している3人は、みんなメガネをかけてる。メガネがなかったら、遠くの獲物なんて狙えない。その社会では、線の外側にいたかもしれないですよね。
いまの社会では、お金を生み出せるかどうかが、その物差しになっています。生み出せないと見なされた人は、線の外側に置かれ、「分離」されてしまう。そんな構造があるのではないか。
ここで、わたしは黙ってしまいました。身に覚えがありすぎたからです。
できるようになりたい。成果を出したい。仕事では毎日のように「生産性を上げよう」と言っています。その物差しを、わたしは思いっきり自分に当てていました。

清野
自分は仕事人間なところがあって、できるようになりたいとか、生産性とか、そういうものに呪いにかかっているなと、すごく感じて。
線の外に誰かを置く物差しと、自分を測っている物差しは、同じものでした。
線を引き直す
メガネの話には、続きがありました。

黒木
わたしはメガネがあるから、いまここで収録に参加できているんですよね。インクルーシブにしてくれているのは、このメガネなんです。
目が悪い人にとってのメガネにあたるものが、ほかにもあります。手を動かせなくても、視線でパソコンのカーソルを動かせる。コントローラーを両手で持てなくても、大きなスイッチがあればゲームができる。顎で操作してクレーンゲームを楽しむこともできます。
わたしたちは、こうした技術を「インクルーシブ・テック」と呼んでいます。

黒木
それがあれば社会に参加できる。さっき橋本さんが言っていた「生産性で線を引く」という、その線の位置を引き直したり、無くしたりすることができると思っています。
フローレンスが毎年開いている「インクルーシブ・テックフェスタ」というイベントがあります。肢体不自由のこどもたちとその家族、作業療法士などの専門家、そしてボランティアが集い、ゲームを楽しむイベントです。

黒木
あの場にはすごい専門家がいて、どうすればスイッチや視線入力が使いやすくなるかを調整してくれて。それは訓練とか能力向上ではなくて、「一緒に参加するための調整」なんです。どれだけ楽しめるかが大事。
技術が変えるのは、できることだけではありません。

黒木
事業を利用してくれているお子さんとは、どうしても支援する側とされる側みたいな関わりになりがちなんです。でも、インクルーシブ・テックを使ってゲームを一緒にやっている時は、「一緒に遊んでいる人」という関係性になれるんです。
何かができないと、だめなのか
ここから、話はザラザラしたところへ入っていきます。
障害のある人について語るとき、こんな言い方がよく使われます。「この支援があれば働けるようになって、自立につながります。」「医療的ケアが軽くなって、できることが増えました。」

橋本
それはたしかに喜ばしいし、素晴らしいことなんだけど。何かができるようになる、誰かのために何かを提供する、ということができないとやっぱりだめなのかみたいなことが、ずっと残ると思うんですよね。
「重い問いですね」。わたしはちょっと逃げたくなってしまいました。でも、この問いから逃げると、インクルーシブの話はきれいごとで終わってしまいます。
技術を使えば、できることは増えます。けれど、重い障害があって、自分で体を動かすことが難しく、意思の表出もとても少ないこどももいます。何かを生み出す側には、立てないかもしれない。そのとき、その人の価値はどこにあるのか。
橋本さんは、自分の話に引き寄せて答えました。

橋本
自分自身だってそうじゃないですか。今日事故が起きて、明日から全然動けなくなって、意思表出もできなくなったとしたら。じゃあ明日から自分は社会にとって価値がない人間になるかというと、全然そんなことはないと思うんですよ。
人が人をケアして、そこに存在すること自体に意味がある。生まれて、生きて、誰かと関わって、そこにいる。ヘレンの仕事をするようになってから、そう思うようになりました。
黒木さんも、重ねて話しました。「自分は何かができるから価値がある」と考えていると、年を重ねてできることが減っていくたびに、自分を認められなくなってしまう。

黒木
お母さんが事故に遭いました、と連絡が来たあとに、何もなかったと連絡が来たら、それだけでよかったと思うじゃないですか。その人が何かいいことをしたから、いてくれてよかったわけじゃない。ただいてくれるだけでいい。そう思えるのに、緊急のときしかそう思えないのは、どうなんだろうと。
だから「エイブルテック」ではなかった
収録の終盤、黒木さんが名前の話をしました。
視線入力や大きなスイッチのような技術を、何と呼ぶか。最終的に「インクルーシブ・テック」になったのですが、別の案もあったそうです。

黒木
「エイブルテック」という名前も案としてあったんですよ。Be able to の able で、それがあれば何かができるようになるテクノロジーだ、と。
でも、それは違う。黒木さんはそう感じたと言います。

黒木
何かができるようになるというより、その人を包摂するための、環境の側のテクノロジーだよということだから。当時はそこまでうまく言語化できていなかったんだけど、今日話をして、インクルーシブ・テックという名前になってよかったなと思いました。
誰もが参加できる環境のほうを、技術でつくっていく。「インクルーシブ・テック」は、そんな願いを込めた名前でした。
選べることが、インクルーシブ
では、フローレンスは何を目指すのか。
答えは、「もっといい選択肢を探して、つくりつづける」でした。

黒木
インクルーシブなものがいいよね、という時に、自分たちがイメージしているものは、これまでやってきたことや事例で聞いたことがあるものでしかない。顧客に何が欲しいか聞いても、iPhoneが欲しいとは言ってくれないのと同じで。いま見えているインクルーシブでもない、分離されたものでもない、3つ目4つ目を作っていきたいと思っています。
機会を奪われてきた人のために、まず専用の場をつくる。女子大も、養護学校も、そうやって生まれました。ヘレンもその一つです。だから、ヘレンをやめるということはしません。

橋本
ヘレンが最適なお子さんもいると思うので、その選択肢はあり続ける。認可保育所でも混ざり合っていくし、別の形のインクルーシブもあるかもしれない。そういう選択肢をどんどん作っていく、探していく。
フローレンスには、ヘレンのような園での集団保育と、自宅で1対1でお預かりする「障害児訪問保育アニー」があります。どちらがその子にとっていいかは、そのときどきで変わります。感染のリスクから個別が最適なこともあるし、集団の刺激が良いこともある。

橋本
誰もがごちゃまぜにいる場が全てになることがインクルーシブではなくて、個別に見たときには分離だったとしても、その選択肢を選んでいる人も包摂していく。それがインクルーシブな気がしますね。
今回のレンズ
今回は、
「線を引いているのは、誰か」
というレンズを通して、この話を見つめてみました。
生産性で人を測る線は、社会のあり方が決めています。狩猟採集の社会なら目が悪い人は線の外側になるように、線の位置は変わります。インクルーシブ・テックは、その線を引き直す道具でした。
けれど、線を引き直すだけでは、「できること」で人を測る物差しは残ったままです。目指したいのは、線そのものが溶けていくこと。だからフローレンスは、できるようになるための技術ではなく、環境の側の技術であることを表す名前を選びました。
白状すると、わたしは生産性や効率を愛しています。仕事では、これからも「生産性を上げよう」と言うでしょう。
ただ、それだけを拠りどころにすると、たぶんいつか自分が苦しくなります。ゲームを一緒にしている間は、支援する人とされる人ではなく、一緒に遊んでいる人同士になれる。そういう時間がある方が、わたしには健やかに思えます。
本編は、音声で
医ケア児編のお話は、ここまでです。数字から始まり、制度の歴史をたどり、ヘレンの立ち上げを聞き、インクルーシブの入口まで来ました。
音声では、記事に書ききれなかったやりとりもたくさん入っています。わたしが言葉に詰まって「ウッ」となっているところも、ぜひ聞いてみてください。


