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2023/04/18

親ではない僕たちにとって親子や育児って「無関係」ですか?【第3回フローレンス男性スタッフ座談会】

  


親ではないメンバーで語ろう。親のこと、育児のこと、共に生きるということ

2023年4月から、従業員が1000人を超える企業では、男性の育休取得状況などを公表することが義務付けられました。同時にこども家庭庁も発足。こども関連の政策は今急激に前進しつつあります。

フローレンスは従業員が1000人にはわずかに届きませんが、男性育休取得率は100%。会長の駒崎は2人の子どもの誕生時に2ヶ月ずつ育休を取っていたように、多くの社員が最低でも1ヶ月の育休を取得している組織です。

「父親こそ育休を取って、家庭の当事者になろう」そんなスローガンのもと、この座談会連載はこれまで2回展開してきました。1回目2回目も、育休を経験したパパスタッフが集まり、「育休があったから、今の家族がある」と証言してくれました。

座談会3回目を迎える今回は、4人の若い男性スタッフが主役です。全員が育児の当事者ではありません。過去の座談会を「育児の非当事者」たちはどう感じたのか、

どんなことが学び取れたのか?「非当事者の感想」を話してもらう予定でした。

しかし座談会が始まると、とんでもないどんでん返しが起こったのです。

座談会が始まって早々に、そもそも彼らは自分たちのことを「育児の非当事者」だなんて思っていなかったのです。

当事者と非当事者だなんて、分けることに意味があるのだろうか?

そんな本質的な問いから、話し合いはスタートしました。

彼らにはすでに、当事者と非当事者がゆるやかにつながっていく社会を目指していました。

そこには「誰かと共に生きる」ことへの強い思いが通底していたのです。


◆第3回座談会のメンバー

山﨑峻(し~たん)

フローレンス寄付チームで企業とのコミュニケーション、ファンドレイジングを担当する32歳。学生時代からNPOや社会貢献に興味を持つ。商社営業、ラグビーワールドカップスタッフ、ベンチャー企業での営業を経て、「業態に関係なく、気軽に社会をよくする取り組みをやりたい!」と志して2021年にフローレンスへ。先に入社していた双子の兄がおり、「フローレンス山﨑兄弟」は社内じゅうの有名人として知られている。

上田昂輝(うに)

フローレンス広報チーム所属。フローレンスが政策提言すべきイシューについて扱う、ソーシャルアクション部門のリーダーを務める28歳。前職では企業の広報誌などの企画制作を担当していたものの、社会のあらゆる価値観を問い直したいという熱い思いをぶつけるべく、2022年にフローレンスへ入職。学生時代からのニックネーム「うに」にちなんで、さまざまなウニグッズを収集。社員がこぞって新しいウニグッズを知らせてくるため、対応に追われる日々。

幡谷拓弥(マーヘル)

フローレンス代表室所属。障害児に関する支援の政策提言や事業開発を担当する26歳。15歳年下の弟がいたことで親としての視点を疑似体験しながら育つ。友人に子どもが生まれることが増えてきて、自分が子育て当事者になったとき、少しでも自分が楽しく育児できる環境を作っておきたい!そんな希望を持って2022年フローレンス入職。学生時代に留学していたヨルダンでもらったアラブネームから、「マーヘル」と呼ばれている。

藤波健人(けんてぃ)

2022年4月に新卒で入社。現在障害児部門の採用を担当する26歳。「日本社会では一歩踏み外したら、誰しも貧困に陥るし、セーフティネットも機能していない」と感じていた学生時代。誰も支え合わず、自己責任論が跋扈する社会に怖さと気持ち悪さを覚えていたところ、フローレンス会長駒崎と作家・筋肉教開祖のTestosteroneさんの対談を読んでフローレンスを知る。「ここにいけば、そんな空気にも風穴を開けられるかもしれない!と飛び込んだという超行動派。

モデレーター:中村慎一(にゃむら)

40代前半。フローレンスでは赤ちゃん縁組事業部所属。三児の父。本座談会企画の発起人。フローレンスでマネージャー職を勤める傍ら、兼業作家としても活躍。男性育休、ジェンダー、保育園の多機能化などのテーマで取材対応やセミナー講師としても実績多数。みんなの溢れる思いをズバリ言語化してくれる駆け込み寺的存在。主な著書に『お先に失礼します! 共働きパパが見つけた残業しない働き方』(KADOKAWA刊/2017年9月)、『探偵先輩と僕の不完全な事件簿』(KADOKAWA刊/2019年2月)、『江の島ひなた食堂 キッコさんのふしぎな瞳』(KADOKAWA刊/2022年1月) など。

そもそも僕たちは、子育ての「非」当事者なんだろうか?

にゃむら:この座談会は「男性育休座談会」っていう名前なんですけど、「男性の意識改革」に向けて男性同士で何ができるか話し合いたい!と思っている場でもあるんです。なので今日は子育ての非当事者の皆さんがどんなふうにこのテーマを捉えているのか、教えてもらいたくて集まってもらいました!まずはこの連載を読んでの感想を聞かせてください。

マーヘル:僕は、第2回の最後にあった、「フローレンスでは、育休でもどんなことでも、その人の家庭の未来や社会の未来にとってどうか、という視座で考えて話す」っていうのに、強く共感しましたね。夜景の中の明かり、ひとつひとつにストーリーがある、なんて良く聞きますけど、そもそも会社で働いている人たちにも、それぞれのストーリーがあるじゃないですか。ひとつひとつのストーリーをを会社の理屈で単一化してしまう社会って本当に幸せなのかな?と思うことがあるんです。もっと社会も会社も、個々のストーリーに寄り添うべきだよなあと思います。

けんてぃ:僕は、将来的に子どもを持ちたいなあって気持ちはあるんですけど、皆さんの話を読んでいて、「えー!そんな現状があるんだ……」っていうのを知って、もしかして自分も直面して行くのかな?ってちょっと思ってしまった……。僕にとっては、フローレンスの先輩たちって、めちゃくちゃ考えて行動して、大きなことを実現してきているって思っているんですけど、その人たちですら、日本社会っていう圏内ではめちゃくちゃ困難に感じていることがあるんだなっていうのにびっくりしました。

うに:まだまだ男性同士で育児について語れる機会って少ないので、こういう形で男性同士が語って、それを世の中に発信していく場があるのはすごく意味のあることだなと思うんですよね。過去の座談会の中でも出てきましたけど、「男性が育児にマジになってる姿を周りに悟られるのが恥ずかしい」という感覚って実は僕にもあるんですよね。でもフローレンスの中だと、それが恥ずかしいことじゃなくて不思議と当たり前になっていった感覚があって。男性もパートナーと共に歩み進める先に、幸せを勝ち取れるっていうことがわかったんですよね。それを先輩の男性社員が実践しているということがめっちゃかっこいいな!と思いました。

し~たん:私はですね、すみません、全然リアリティがなくて(笑)。これを読んだから、次に何かしよう!とはもちろんならなかった。皆さんのエピソードに具体的なイメージを持って理解していくってところまではいけてないですね。けどそれが非当事者の多くの感想なのかもしれないと思いました。

にゃむら:うんうん。当事者性がない、リアリティがないことって、こういう男性の育児以外にもさまざまな問題に通底するね。

 

し~たん:まず男性が「子どもが欲しい」と思うこと自体、自分ごと化するのって難しいと思うんですよ。一方で女性は生理があって、生まれてからずっと身体活動の中で出産という問題を突きつけられている気がするんです。男性にはその活動がない。すごく身近な問題でありながらどこか遠い。出産・育児の分野においてその差は深いってずっと感じてるんです。

マーヘル:当事者性って、実際目にしないと分からないっていう要素、ないですかね?ちょうど昨日、ヘレン(※フローレンスの障害児保育園ヘレン)の研修に行ってきました。子どもたちをバギーに乗せて、みんなで公園に行ったんですけど、直線距離にしたらすごく近い場所でも、都度都度スロープを探して歩かなくちゃいけないってことに、初めて当事者として気づいたんですよ。出産育児も同じで、小さい頃から将来的に妊娠出産を担うという意識も身体的にも突きつけられている女性と、子どもが生まれてから気づく男性では大きな差が生まれますよね。

けんてぃ:でもその差を「しょうがない」ってするのはやっぱり違うって僕は思う。多分これって性教育の分野だと思っていて。学校の性教育って男子がふざけたりちゃかしたりする文化があったけど、そこにも見えない「当事者性のなさ」が転がっていて。種まきの段階から性教育の現場で男性にも当事者性を芽生えさせる仕組みって絶対必要ですよね。

うに:うんうん。僕も自分が男性である以上は、女性の気持ちを100%理解することは難しいと思っています。ただ非当事者であっても、当事者はどう感じているのか想像することはやめてはいけないと思っています。

 

にゃむら:本当にそこは大事ですよね。私は自分で育児をしているから、道で困っているお父さんお母さんに「何かできることありますか?」って聞くことにはそんなにハードルがないけれど、そういう人たちを見たときにみんなはささっと歩み寄れる?

 

マーヘル:確かに、僕はフローレンスに入っていろんな親子とかお子さんに接するようになったからできるのかも

 
 

けんてぃ:あ、それは僕も。研修とかで現場に行ったり、保護者の方とお子さんたちとの関わり方を意識的に見るようになったからかもしれない。親子が接しているタイミングにたくさん触れたおかげで、いろいろな親子の関係性が目に入るようになったからできる。

 

うに:わかるわかる。単純に接触の母数が増えたことで、不登校であったり、障害があったり、いろいろな親子の関係性や環境を知れたのはフローレンスに来てからですね。

し~たん:それで言うと、今まで私は、ベビーカーに子どもを乗せている親御さんが、子どもにスマホを渡して見せている様子って、実はあまり「いいな」とは思えなかった。どちらかというとネガティブな気持ちで見てたんです。でもフローレンスに入って、子どもたちにめちゃくちゃ触れて、「あ、これは見せるな」って納得(笑)。健康的か、正しいかどうかは置いておいて、その場を収めることを優先するときだってある。それを実感として理解できたから、まさにそこは当事者にトランスポートしていた瞬間だったかもしれない。

育児、イコール「~しなくちゃいけない」がつきまとう

にゃむら:それは「親」というものに対する認知が変わった瞬間なのかもしれないね。「子どもにスマホ渡すなんて……」って思っていたし~たんと、「分かる!」と思えるし~たんでは親への認知が変化していると思う。

 

し~たん:「親は完璧じゃなくちゃいけない」ってどっか思ってたのかもしれないですよね。正しいとか正しくないは置いとけ!っていうシーンがたくさんあることも理解できた。

にゃむら:もしかして「親は完璧じゃなくちゃいけない」っていう意識、みんなにもあるのかな?もし今「親になれ!」って言われたら、「俺なれる!」って思える人、います?

 
 

(全員静まり返る)

 

マーヘル:「親=完璧でいなくちゃいけない呪い」って絶対ある気がする!子どもに対して例えば「休日ゴロゴロしている僕」って見せちゃいけないだろうって思ってるし(笑)。

 
 

うに:今は自分の時間を100%自分で使えますよね。でも子どもができれば、子どもに時間を「使わなくちゃいけない」という意識は働きますね。

 
 

けんてぃ:僕はどちらかというと、父親が亭主関白的な人で、「僕は絶対そうならない!亭主関白再生産しない!」って思ってきた。でもそれを強く思いすぎて、全然覚悟が決めきれない部分があります。でも今、僕気づきました。「~しなくちゃいけない」が僕の結構気になりポイントなんだ!「~するんだ」じゃなくて「~しなくちゃいけない」って、すごく社会的な要素が入り組んでいるじゃないですか。それがすごく重く感じるんだ!

にゃむら:ええー!そうなのか!私はもう十数年育児をしているからちょっとびっくり!目の前に子どもがいると、日々子どもの未来に想像を働かせているんですね。視点が一度未来に向いたら、それに向かって手を動かそう、という回路が自然につながっていく感覚なの。「~しなくちゃいけない」の感覚が全然変わってしまった感じがあるなあ。

けんてぃ:あと今、若者が子どもを持たない傾向が強くなってきているのは、社会的に子どもを持つことが「プラスα」「ぜいたく」みたいな感覚になっているような気がするんですよね。この「~しなくちゃいけない」と「ぜいたく感覚」が取れたら、シンプルに「自分の子どもっていいなあ~」って思えるかもしれない。でもそこにたどり着くのは、きっと親になってからなんだろうなあ~。

マーヘル:僕もいつかは子ども欲しいです。子どもは未来を体現しているとも思う。でも同時に、僕自身にも未来がある。僕らの親の世代とかもっと上の世代は、いい教育を受けていい会社に入れば、もう安泰だっていう感覚があったって聞きます。自分が安泰コースに乗れば、もしかしたら次の世代のことも考えやすかったかもしれないですよね。でも僕たちの世代は、いい会社に入ることがゴールでもないし、学歴がすごく役立つわけじゃない。そして自分の未来が超不確定すぎる!だから余裕のある視点で次世代のことが考えられないのは大きいんですよね。

けんてぃ:あ~~!!!ほんと分かる!!分かるわああああ~~!!(けんてぃ、頭を抱える)

 
 
 

うに:マーヘルの話はめちゃくちゃ同感。僕も自分の未来は不確実だし、その状態で子どもが持てるかっていうと悩んじゃう。でも逆に言えば、子どもが生まれることによって、何としても未来を、社会をいいものにしなくちゃいけないっていう思いは強くなるようには思いますね。フローレンスはみんな社会のことを考えていて、政策提言をしていますよね。子どもを守る観点に立てば強制的に未来を考えざるを得なくなると思うんですね。せめていい未来にしないと。そこから社会や政治に目を向けるきっかけになる人も多いと思うので。

「1人じゃ生きていけない」ことは、はっきりしている

にゃむら:ここではあえてみんなのことを「男性」って言い切ってしまいますけど、若い男性たちにすごく聞きたいことがあって。みんなは周囲の人に自分の弱さとか辛さを相談できますか?私の世代の男性同士では、そういう弱みを交換する雰囲気も場所も全然なかったんだけど、今の人たちはどんな感じなのかな?

マーヘル:それで言うと、僕はバリバリできます!!心の扉はのれんほど軽い!

 
 
 

全員:マーヘルはできそう(笑)!!

 

マーヘル:もともと僕は「いい子であろう」と思って育ってきたんです。いい子はネガティブなことを言っちゃダメって思ってた。でも大学生のときにすごく大切な友人ができて、弱さを見せられるようになってから、自分は孤独じゃなかったと思えたんです。自分がどういう選択をしても、自分を愛してくれる人がいるという実感を持てたんですね。その実感を持ててから、いい子であろうという漠然としたイメージじゃなく、愛してくれる人のために清くあろうとか、素敵な人でいたいとか、本質的な部分から変わろうと思って行動できるようになったんですね。こんなにいい影響があるんだったら、自分の弱さとか辛さを受け止めてくれる人には老若男女関係なく、どんどん出していこうと思えたんです。

けんてぃ:僕は本当にようやく、本当にようやく!最近自己開示できるようになった感じです。というのも、フローレンスに入ってからできるようになったんです。

にゃむら:え!そうなの?なんで!?

 
 
 

けんてぃ:フローレンスに入ったら、めちゃくちゃ自己開示をする人ばっかりが周りにいて(笑)。ちょっと口火を切っただけでどんどん話を広げてくれる人たちに囲まれてると、安心感に包まれちゃって、自己開示に慣れてきたから、かなー?

 

し~たん:私は、今はすごく出せる!でもけんてぃやマーヘルくらいの時は全然できなかった!!みんなよりちょっとお兄さんですからね!年齢は全然関係ないけどね(笑)。というのも29歳のときに大きな失恋をしまして。4年お付き合いしていた彼女と別れたんですけど、その時に自分で抑えきれないくらい辛いっていうのを経験して、これは誰かに出さないと無理だってところまでいったんです。

にゃむら:出してどうだったの?

 
 
 

し~たん:意外とみんな真剣に聞いてくれるんだなってびっくりしましたよ!その経験が、周囲の人たちへの信頼感を改めて見直すきっかけでした。それまではつまらない美学にこだわってたなあ~って思って。

 

にゃむら:20代のときに弱さ、つらさを出さないのは美学だった?

 
 
 

し~たん:そうそう。笑ってへっちゃらなふりをするのかっこいい、みたいな。そういう空気感はメディアからも暗黙のメッセージとして伝わってきた気がする。ま、20代の私もそれはそれでかっこよかったですけど(笑)。

 

にゃむら:弱みを出すきっかけとしては、他者との出会いとクライシスとの遭遇っていうのがあるんだね。そういう美学はみんなにもある?

 
 

けんてぃ:いやあー絶対エッセンスはあります。「抱え込む美学」。僕の中にも根強い。

 
 
 

うに:僕には美学はないけど、「親の呪い」がある!

 
 
 

にゃむら:聞かせてもらおう!

 
 
 

うに:僕には2つの呪いがあって、まずは長男であること。そして4歳の頃から聴覚障害があること。親から「あなたは周りに迷惑をかける存在なんだから、しっかりしなさい。安定した仕事に就きなさい」って、ずっと言われて育ったんです。でもそれが解放されたのはコロナ禍がきっかけでした。ずっと家に閉じこもっていて、今思えば完全にコロナうつだったと思うけど、けっこう苦しかったんです。そのときにたまたまSNSで見かけた、悩みを匿名で話すコミュニティに参加したんです。そこで初めて自分のつらさとか弱さを吐き出すようになりました。みんな顔も知らない同士だけど、ただ話を聞いてくれて、吐き出すことを肯定してもらえたんです。それをきっかけに20年以上自分が抱えていたつらさ、悲しさみたいなものも言えるようになって。でもまだまだ相手を選ぶなーとも思っています。同性代の男性同士だとどうしても負けず嫌いなところが出ちゃうし(笑)

にゃむら:みんなの話を聞いていると、呪いや美学を捨てる時には、他者の存在が不可欠ですよね。クライシスも1人で起こるものではない。自分ひとりでは、呪いって解けないものなのかな?

 
 

マーヘル:僕は1人では無理だったかな。これは最近聞いたポッドキャストの受け売りですけど、世阿弥の「離見の見」っていう考え方があるらしくて、パフォーマンスしている自分と観客との関係を俯瞰で見るそうなんです。自分の行動に対して観測者がいないと、どういう反応を自分が起こすか分からないんですよね。呪いに呪われているときに自分がどういう反応しているかは、他者を介すことで初めて気づくので、1人では呪いは解けない派です。

けんてぃ:呪いを身にまとっている事自体、自分では気づかない。自分は裸だって思い込んでて、はたから見れば(呪いという)服を着てて、それ(その呪い)が変だと気づいてくれるのは他者しかいない。それが他者と関わるおもしろさでもあるし、人が1人で生きていけない理由なのかもしれない。

うに:呪いって強いんですよ(笑)。捨てたくても強烈に引っ張られる!だからそこを超えるのはきっと他者の存在のような強い力が必要なんだと思います。

 
 

し~たん:もちろん他者が介在すれば、変革のスピードは早くなるかもしれないけど、マーヘルみたいにポッドキャストとか、読んだ本がきっかけになることもたくさんありそうですね。

 
 

フローレンスは「非当事者」じゃなくて「関係者」になれる場所

にゃむら:フローレンスに入って初めて自己開示ができたという話があったけれど、それはどこからくると、みんなは考えていますか?

 
 

マーヘル:フローレンスは雑談の量と質が異常です(笑)。前職でも雑談はあったけど、ライフステージが変わった報告、みたいな感じ。でもフローレンスの雑談は、子どもがこんなこと言って困っている、とか、パートナーとのコミュニケーションがちょっとうまくいってないとか、なんかマジのプライベートじゃんっていう(笑)。でもその理由は結構シンプルで、フローレンスの事業自体が人生に紐づいているから、社員自身が人生の話をしないと始まらないですよね。業務が社会を変えることに密接に関わっているので、お互いの背景を抜きに、そんなテーマを扱えないと思います。

けんてぃ:役職とか年齢とか何も関係なく、めちゃくちゃフランクにみんな話しますよね。自分の超身近なこともさっと発信できてしまう、共感できる、寄り添える仕事仲間って多分ここくらいじゃないかと。僕は古い父親観、価値観をアップデートする側に回りたいと思ってフローレンスの門を叩いたというところがあるので、みんなの発信によって、日々自分の価値観を変えられている実感があります。

うに:前職は、ライフステージが進むごとに二者択一を迫られるというか。何かを諦めなくちゃいけないっていう雰囲気があったんですけど、フローレンスにくるといろいろなことで諦めるとか捨てなくちゃいけないみたいなことが全然なかった。自分のやりたいこと、感じたこと、発信していくことを「やめなさい」って言われたことが1回もない。

し~たん:さすが広報。良いこと言うな(笑)~!今日の話のなかで、育児に際して「~しなくちゃいけない」って話、ありましたよね。そこで思ったのは、多分非当事者たちは「~しなくちゃいけない」場面にしか遭遇していないんだと思うんですよ。つまり、電車の中で泣いている赤ちゃんに困っている親を見る。そういう緊急事態だけ、非当事者は当事者の中に取り込まれている。だけど、緊急事態じゃない部分は非当事者には見えてないから、「~しなくちゃいけない」が余計に大きく見えているのかも。

マーヘル:なるほど。僕も当事者か非当事者かのオンかオフなんだっけ?って思いました。そこは分断してなくて、ゆるやかにつながっていますよね。僕がヘレン研修に行って初めてスロープの場所が気になったみたいに、ひとつ経験知を獲得することで、「親というレイヤーの関係者」にはなれるのかもと思った。親と親になる前のその間の経験を、フローレンス以外の人にも波及できたら、分断を埋めることにもなりそうですよね。

にゃむら:そうだよね!当事者と非当事者の間には、関係者、伴走者、支援者がたくさん存在する!

 
 

けんてぃ:多分人によって意識のグラデーションが存在するとは思うけど、当事者の代わりをいつでも非当事者が担えるといい。

 
 

うに:そこってフローレンスが活動してきた原点なのでは……?

 
 
 

し~たん:やっぱ広報、いいこと言うな~(笑)!

 
 
 

◆みんなの言葉に圧倒されたにゃむらの感想◆

なぜ(まだ親ではない)彼らに、「親は完璧でないといけない」という意識があるのか? それが最初の驚きでした。興味深く話を聞いていくうちに、「男性育休」というテーマを軽やかに越えていく彼らの言葉と、それを支える洞察の深さを目の当たりにして、わたしは心から恥じ入りました。

「まだ親ではない、これから子育てをするかもしれない若い彼らの意見を聞いてみよう」という企画の立て方、彼らを「非当事者」とするラベリングこそが、とんでもない偏見に満ちていたのです。

「まだ若い彼ら」の言葉を、年長者が「きみたちもいずれ(当事者になれば)分かるよ」と受け止める。こんな失礼なことはありません。自分にそういった意識があったことを認めざるをえなくて、赤面しました。

彼らの語りは「若い」という属性からではなく、彼らの「内面」そのものから発されている。当たり前だけど大切な観点を、「若者の声を聞こう」という言葉で包むことで見失っていたのです。

「夜景の中の明かり、ひとつひとつにストーリーがある」。そのシンプルな事実の前に、「若い」とか「子どもがいる」といった属性は意味を持ちません。この社会にある様々な関係性や課題を考え取り組むにあたり、とても大きな学びをもらった座談会でした。

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男性たちが家庭の当事者になるには、この座談会のように

男性たち自身が主体的に「自分」を語ることがきっかけになります!

家庭のこと、育児のこと、「気持ちのシェア」始めませんか?



書いた人:酒井有里


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